先生にインタビュー #11(チェ・ユンジョンさん)

yunチェ・ユンジョンさん
名古屋市地下鉄本郷駅と藤が丘駅の近くで、ギャラリーFINGER FORUM(フィンガーフォーラム)を主宰されています。そこでは造形教室やワークショップなど様々なイベントも。

dots

石鹸でトルソを彫ってほめられた

宮川/子どもの時どんなものを作ったとか、学校はどんなだったか覚えてる?

チェ/覚えてる。子どもアート研究室のチラシにも書いてあるんだけど、子どもの頃から褒められたりしてたんで、ものを描いたり何かを作ったりとか、誰よりも自信があったんだよね。
小学2、3年生の時だと思うんだけど、「石鹸を彫刻する」っていう授業があって。石鹸の塊をもらって彫刻やっていくんだけど、何をやろうかなと思った時にね、トルソ。女性のおっぱい。絶対私はあれが美しいなと思ったんだよね。それを、何かを見て真似したわけ。でもみんな小学校2、3年生だからそういうのはやらないでしょ。

宮川/そうだね。早熟な感じがする。

チェ/だから先生がびっくりして、「なんでこんなのを?どこで見たの?」って。「テレビかどこかで見ました。」って。先生にどれだけほめられたか、私はうれしくてうれしくて。まあそれもうまいとかどうとかじゃなくて、大人の人から見たら、その時代に小学2、3年生の子どもがああいうのを作って、元々才能がある子だなって先生も思ってたんだけど、ますますいい風になってるっていうんで、すごくほめたんだと思う。
それがうれしくて、私はその時からここまで来たんじゃないかな。

dots

日本の大学での卒業研究は?

宮川/大学(愛知県立芸術大学)で卒業研究は何をやりましたか?

チェ/私は日本語が美しい言葉だと思ってるので、そういう日本語を勉強してる私が大好きだし、どんどんうまくなっていくのが嬉しい。そういう素朴な気持ちもあったので、それでテーマが「包む」ってなっちゃったわけ。
「パッケージ=包む」っていうそのままの言葉。だけどそこから、日本の文化の話にになって。「包む」っていうことは形を包むだけじゃなくて、心もあるんだって。「ボックス」っていうアメリカ的な効率的なものは、一番安全で、便利で、きれいで、エコなのかもしれないけど、私がせっかく日本に来て勉強してる「包む」っていうことは、そういうのじゃなくて、心も一緒に包むっていう表現なの。
そうやってデザインからどんどん芸術的な発想になっちゃって、「包む」っていうイメージのこれはまったくデザイン科ではないんじゃないかっていうぐらいの彫刻的なオブジェの作品を作って卒業しました。

dots

ギャラリーを始めたきっかけは?

宮川/ギャラリーを始めたのは?教室のチラシを少し読んだけど、韓国と日本をつなげるとか、元々やりたかったのかな。

チェ/私はギャラリーをやるなんて、考えたこともなかったですよ。だけどいろいろ流れがあるんだけど、キュレータ的なアルバイトで、搬入搬出をするのが当たり前な生活をしてたんで、とにかくそれに対してはある程度の知識があって。
せっかく大学院を修了してやっと自由になって何かできるんじゃないかなって思った時に、ビザの問題とかいろいろあって、日本にいるためには就職が一番早いっていうことで、就職したところも似たような仕事の所。大須だったんだけど、ありがたく、伏見のギャラリーの人とかに会っていろんな話をしたときに、「自分でもできるんじゃないかな?」って漠然と考えて。
その後、会社とちょっとあんまりうまくいかなくなって、やめて考えたのは、とりあえず日本にはもっと残りたいんだけど、就職はしたくない。だけどなんか制作をしたり、そういうつながりを作らないといけないって必死で。
じゃあギャラリーをやれば作家さんたちにも会えるし、まったくお金のことを考えてはなかったけど、芸術とつながっていたいという発想と、ビザのためにっていうことでこれを始めたの。半年か1年ぐらいはビザの問題でかなり苦労して。今まではこういう前例がないって。大学も卒業して立派だから応援してあげたいんだけど、ギャラリーが売り上げがあるお店のようでもないしって。入国管理局からは分かりづらかったんだよね。トラウマ的にかなり苦労しました。

宮川/聞きにくいですが、ギャラリーは、お金はうまくやってますか。

チェ/まずありがたく、ここは家賃が本当に安くて。そういう恩人的なやさしい日本の方が応援してくれてるので、それが一番大きいんですよね。だからもし、ちょっと損することがあったとしても「まあいいか」っていう感じに思ってるけど、生活するためには、確かに厳しい。
レンタルギャラリーになったことも、1時から7時まで私がずっとここにいるのは、人件費の問題であんまり良くなくて。私が外で他の仕事をして維持した方がいい。本業はギャラリー経営だけど、アルバイト的な感じで子どもにとか老人マンションで絵を教えたり、韓国語を教えたり、たまには看板デザインの仕事が入ったり。できることをやりながら。

dots

このギャラリーってどんなところ?

宮川/私はギャラリーで展示する側はなんとなく想像できるけど、やっていく側はどんな風なのかな?苦労はある?

チェ/ギャラリーって、やっていけば人が集まるようになるって、私は信じてるので。普通に開けておけば、誰かが来てくれるから、あせらない。ギャラリーっていうのはそういうもんでしょ。アトリエ。物を売りたくてわーっとするもんじゃなくて、まず感じて、それから欲しくなったりする。感じるまでの時間がかなりかかる仕事なので、それで売り上げ的なことは次の問題で。難しいんだけど。
だけどレンタルギャラリーっていうことで一番いいたいのは、責任。芸術家はお金を払ってスペースを借りて、スペースの中で自分の作品をみんなに見せれるっていう、そういう素敵な仕事。芸術って、すごいあいまいっていうか自己満足的な世界なんだけど、自分が描いて自分が満足して終わっちゃったら、話はもう終わりだからね。発表するのは芸術家たちの義務であって、見せるべきであって、そういうプロセスをいっしょに感じたいの。だからレンタルってすてきだなって私は思ってて。私は安いんじゃないかなっていう勝手な値段をつけて、提供してて苦しいけど。
それと問題なのは場所。住宅街の中で、他のギャラリーも駅から遠いのはいっぱいあるから仕方ないとしても、ここは、一回来れば分かるんだけど、初めてくる方には分かり易い場所ではないのは事実なので、この場所があることを知らせる方法を考えたりとか。
それで、ギャラリーとは関係ないんだけど、「ユンジョンハウス(韓国雑貨店)」みたいにして、ここで韓国の服を売るイベントを年に2回、3回やるわけ。いつもオープンしてて、にぎやかな空間の空気がここには流れているっていう。そんな風に私は信じたいので。
本当はワークショップもやりたいんだけど、今はKさんがちょっとフェルトでやってくれるぐらい。ワークショップまでいっちゃうと企画を一緒にやってくれるような人がいないと、なかなか1人では難しい。展示を見ながらワークショップをできる、っていうのをしたらいいなとは思ってる。
そういうふうにぼちぼちやっていくとね、いつかは…という感じです。

宮川/すごくいい話だと思う。じゃあ私もいつか借りて展示をしようかな?

チェ/よろしくお願いします!

dots

教室を始めたきっかけ

宮川/この前の話だと、ギャラリーの宣伝のために、子どもに教えることを始めたという流れだっけ?

チェ/まずスタートは、子どもの展示をしようと。それで盛り上がって、「それなら子どもに教えて、その作品を展示するのがもっといいね!」っていう話になって、という流れですね。

宮川/じゃあ教室のお客さんはこの辺の子どもが多いんですか。

チェ/最初はそれをねらってたんだけど、口コミ的な感じで、紹介が多いかな。すごくうちのやり方が気に入った方達が、自分の友達を連れてきたりとかするけど、そうでない人もいるし、意外とバラバラかな。本郷と藤が丘に小学校あるんですけど、今うちに来てる子たちは、藤が丘の子は1人。

dots

3人でギャラリーでイベントをやっていることについて

チェ/MちゃんとKの場合は、教えてみたい、子どもたちの作品が見たいっていう、素直で純粋な動機があって。

宮川/2人とは大学で友達になったという話だっけ?

チェ/そうそう。うちでのそういうイベントはもう4年目で、ほとんど一緒にずっと続けててね。
最初は私は参加しないようにしてたんですが、私も韓国でのバイトで実際経験がありますので、できることを一緒にやったり、アイデアとか出したりします。
1人でやってもいいところもあったんだけど、何が一番問題だったかというと、韓国と日本の教育のシステムが違ったり、言葉の表現が物足りなかったり。そういう文化的なギャップがかなり大きいって思ったわけ。子どもとあんまりしゃべったことがなくて、それが悪い影響とまでいかないけど、子どもが自由になれる時間を減らすんじゃないかなと思って。それで2人に「どう?」って声をかけて。
今は大分慣れたよ。子ども達もね、性格とか結局みんな一緒でしょ、言葉が違うだけで。それでまあ一応やってるんですね。

dots

国が違うと子どもの様子も違う?

宮川/子どもは、韓国の子どもも、日本の子どもも似てる?

チェ/似てるというか、それぞれの国に合う教育があるから、そこに芸術が入る必要性が違ってくる。子ども自体はそんなに変わりはないけど、韓国とは大胆さが違うかな。あと、企画がかなり違う気がする。
日本は例えばこの前、I先生が「『食』について大人と子どもたちに教えながら芸術を感じる」っていうイベント的なのを一所懸命にやってるっていう話をしてて、大人も一緒に参加するイベントもとっても素敵なんだけど、韓国の場合は、「芸術」っていったら「芸術っていう世界を理解する」っていう感じ。例えば前、美術館のイベントで見たのは、「バスキアの気持ちになってみよう」とか、「イブクラインの作品を体で体験してみよう」とか。子どもの頃からインスタレーションについて教えたり、かっちりしてる。日本は具体的なことじゃなくてすごくホワーンとしてる感じ。そのなかで一つずつ学んでいく形が多いんだけど。そういうのがちょっと違うんじゃないかな。
でも私、韓国の小学生もどうなってるかわからない年なので。

宮川/じゃあ共通して言える部分はどんなことだろう?

チェ/一番いいのは子どものかゆいところをわかってあげるっていうことじゃない?
今私、喋りながらふと思ったことは、つまらないときもあるし楽しいときもある。自分に合えば楽しいだろうし、合わなければつまんないだろうし。そういうかゆいところをいろいろいいサポートしていくのが一番いいんじゃないかな。
あの時私は褒められたかったんだよね。ちょっとした才能ですごくほめられて、その先生はただ褒めただけかもしれないけど、その時に自信をもらったわけだよね。それで世の中に私よりも上手い人がいっぱいいたんだけど、「自分はできるんだ」っていう自信を今でも持ってる。

dots

教育方法は年齢によって違ってくる

宮川/子どもをよく観察するのが大事だね。

チェ/子どもによって、叱られて伸びるタイプと褒められて伸びるタイプもあって。私はそっちだなってなんとなく思う。あの時の記憶がかなり私にはあって、今もその思い出だけでもうれしくなるぐらいなの。
だから私は、もし子どもたちが1、2、3年生ぐらいだったらにそういう風にする。もうちょっとその子のよさをしっかり教える方法は絶対あると思うし、それこそ、しっかり教えるべきかなって思うわけ。そこから自分の好きなものを自由に選択すればいいわけ。
5、6年生は分からないんだ。自分たちがもう大人だっていう感覚に、いろんな新しいものを吸収してて、ぱんぱんになってる状況なので。だからその子たちに美術はいいんだっていうのはちょっと難しいんじゃないかなって私は思うわけ。
子どもの頃はものごとを知らないから自由で楽しかったでしょ。だけど、大人たちは、いろんなものを吸収しちゃうと自由になる方法がわかりにくくなったり、それが一番問題。知っていくと自由がどんどんなくなっていくわけ。

宮川/そうだよね。わかるけど難しい部分だね。

チェ/学校っていうところは共同生活しながら大人の話を聞かなきゃいけない教育で、5、6年生になると、大人達に叱られたら怖いとか嫌だとかある。だから「こういうのはやっちゃダメ」、「こういう風にしたらこう人から見られちゃう」っていうのを学んでいく。
自分が半分大人になってるって気持ちになった時にはもう遅いから、やっぱり小学1、2、3年ぐらいの時には、子どもたちにいろんな希望をあげて、いろんな「試し」をさせるっていうことがすごく大事。
だからむしろ学校行くよりは自然と一緒にとか、そういうイベント的なところに参加して、それから学校行ってもいいぐらいだよ。

dots

幼い時の教育が大事

チェ/だからおうちでの教育で一番大事なのは幼い時。今世の中に、いいものも何やらもあふれててね、これ以上がんばらなくてもいいものがいっぱいあるじゃん。だったら、働いている人たちの子どもにもっと集中して時間をあげたほうがいいんだよ。会社を1、2ヶ月休みをとって、子どもたちと時間を過ごせるように。そのほうが子どもが幸せでしょ。親も休みに集中できるし。そういう人たちが子どもを産まないといけないっていう話。本能だから産むっていう時代はもうだめ。
昔はみんな貧乏だったし、物が足らないし、みんながんばらなくちゃいけなかったから。洗濯物もうちのお母さんがひたすらゴシゴシやってたから、「お母さんは大変だな」って思って自然に「手伝おう」と思うじゃん。今は、お母さんが洗濯機を「ピッ、ピッ」てやったら子どもが「お母さん大変だから手伝おう」って思わないでしょ。自然に出てくる要素がどんどんなくなってるわけ。
いつも掃除は、スッスッて棒の先で拭くのでやるんだけど、この前気が済まなくて、手でこう、お寺のお坊さんがやってるように拭いてたら、私の彼氏は若いんだけど「わー、テレビで見たようなことやってるわ」って、びっくりして「たくましいな」って言うわけ。だけど私は子どもの頃からずっと「きれいに拭きなさい」ってお母さんにやらされてきて。

宮川/私の実家は小さいお店だから、ずっと忙しそうで手伝ってたな。たまに休みが合ってどこかに連れてってもらうとすごく嬉しかった。

チェ/ヨーロッパの話だけど、あの人たちは午後3時までの仕事だったりするらしいじゃん。仕事の時間が短いから、彼らはお金持ちだろうが貧乏だろうが、趣味を生かすっていう生活をしてる。だからギャラリーとかも行くし、そういうふうになってる。
日本でたまに「いいイベントがあるから参加してみようよ」って、例えば豊田市美術館に行っても、帰りに車が混んでて疲れたら、「よかったね!」っていう気持ちが消えてしまうじゃん。自然にそうさせる方法に持っていかないと、無理やりではね。だから大人、お母さんとかお父さんたちを休ませるっていう。
田舎の体験とかだけではね、話にならない。それをどういうふうに大人たちが乗り越えて行くかってことなんだけど、すぐは変わらない。みんなが感じることをどうやって効率的に作るったらいいんだろうね。

(2014.10.31)

Share on Facebook

twitter

Top