先生にインタビュー#1(久野 悟先生)

kuno_sensei久野 悟先生
私の小学6年次の担任の先生。専門は図工・美術。私たちの後は担任を持たず教務主任など管理の方になった。

卒業アルバムを見せて
(アルバムの最後に自分たちが描いた絵と、久野先生の図工に関する言葉がまとめられて載っています)
なつかしいな。こんなこと書いたるアルバムないなあ。いっぺん探してみるわ。

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教育委員会でのお仕事

今、教育委員会やから、先生たにきちんと授業やってまわなかんので、学校に指導に行く。
ところが、小学校も中学校も先生はものすごく大変。先生はやらんなんことがいろいろ。いっぱい。
例えば子どもが日記書いたりするの見ならん。で見たら毎日コメント書いたらなかん。でも授業あるでどういう時見るかっていったら、子どもが一生懸命没頭しとる間。それはいつかというと、もの作ったりしとる時。いわゆる「内職」やけど、それが現実の世界なんや。
先生たの労働時間は、労働基準法で言った時には7時間45分やな。でもそんだけなわけない。でも先生達だって睡眠時間も必要やろ。そんでも見ならんやろ。むちゃくちゃやろ?
そういう中で専門外のことも、もっと一所懸命やってくれって言ったって指導のこつを知らへんし、なかなかできへん。教えたらな。そこで先生の先生がいるんや。
国語の先生は国語の授業で一所懸命がんばるけど、そういう人にも、図工のこと、ちょっと興味もって考えて欲しいなって。
でもあまり要求できへんしな。

「セット教材」問題

今の、「キット」って言ったやつは、「セット教材」って言って、業者が教科書をもとにして作る。
例えば低学年でいえば、石とか木とか紙とか、どこでも手に入るようなものを使って創造活動をしよう、というものがある。それは学習指導要領自体がそう指示しとる。
ところが、小学校の先生は全部の教科やらんなん。誰でも自分の専門の教科もっとるけど、他の教科まではなかなか出来ん。
例えば国語の先生、音楽の先生が図工ってどうやって教えてくと思う?困るし、分からへんで、子どもにそういう「セット教材」を与えてけばいい、ってなる。

図工の先生はがんばっている

今は新しい題材開発の作品が多くなってったよ。図工・美術の先生は、教科書に載っとる作品をやらへんで、独自のやつをみんな作る。それが他の教科と違うとこや。
他の教科は、国語やったら国語でみんな同じ題材使ってやるやん。他の題材使ったら困るもん。ところが図工・美術の場合は「類題材」を工夫するし「セット教材」を使わんのや。実際に廃材を使うんやったら廃材を持ってこさせるんや。
ところが、図工・美術でない先生は、みんなセット教材を使うんや。問題の根源はそこに集約されるんや。図工・美術の先生がおらへんの。

図工の先生が少ない

基本的に美術の専門の先生はなかなかおらへん。
図工・美術の人間がたくさんおれば、さっきみたいなことが少なくなってくるもんで、本当にやりたいことに近づける。
こういうことをやれば子どもにこういう力がついてくる、そうすると大人になったときにもちゃんとそういう美術の感性を活かしていろんなことやっていけれる。
一生懸命そういうことを考える人間が増えてこれば、子どもんたーにも強く伝わるし、いろいろ変わるやん。

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女子大でのお仕事

今私が大学でやっとるのは、初等教育。
幼稚園、小学校の先生になったり、中学・高校の国語や英語の先生になるという学生が来とる。その学生に美術教育はこういう風にやって行かないかんよ、というふうな授業やっとる。美術教育の普及みたいな。
でも美術科は無いで、他の教科の学生が相手。美術のことでいろいろ経験をさせることで、こんなことやったなあって興味を持ってくれるように。もし先生にならんでも、結婚して母親になったら、自分の子どもにそういう視点でいろんなこと教えたれる。

子どもも減っている

今ね、ちょっと遅なったのは、今年、知人が住居学専攻の先生になって、彼とちょっとしゃべっとった。
岐阜女子大の住居学専攻は一級建築士もらえるんで、一時は学生が1学年に60〜70人おったのが、今は10何人しかおらへんもんで、とにかく学生を確保しならん。こんだけ大学できてまって、どこでも学生確保するのが大変や。だからみんなほんと困っとる。
美術に関心をもってくれる学生を増やして、そういうのが先生になってくれるっていうのが究極に理想だなって。だからハードスケジュールやけどやっとる。

美術の道

私の同級生でね、加納高校から東京藝大行ったのがいて、その子ども2人も藝大行った。
1人は藝大に残って助手もしとったけど、中々やっていけれんでって言って、今は藝大助手やめたんやったかな。
もう1人は企業に勤めとったんやけど、東京ではいろいろ大変やでこっち戻ってきて。それで「教員なるか」って考えたけど、勉強やっとらへんなんだらそう簡単に受からへん。だからしばらく講師して、なんとか受かるといいなって言っとったけど、やっぱあかんって東京戻ってってまった。先生になれへん。
塾で自分とこの子も写生大会つれてくとよく賞もらってきた。でもそっちの道に行かへなんだな。行かせやよかった。他の道行ってまった。
デザイナーも前は高給取りやったけど今はなかなか難しいな。その道行ったって、就職なかったら困ってまう。

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実は絵画教室をやっていた・やっている

こないだから教えてくれっていう人が出てきたもんで、教室でおじいちゃんばあちゃんに水彩画を教えとるんや。
実はね、あんたんた担任しとった頃、大垣で絵の教室もっとったんや。学生のときからの延長線で。子どもが30人ぐらい来とった。自分の学級と同じぐらい。だからものすごい高収入やった。
昔やでそんなに駄目って言われなかったな。今は駄目やよ。

賞をとることが子どもの喜びや自信、力になる

教室で養老公園や大垣公園へいっぱい写生大会行った。
俺は指導のこつを知っとるから、こう描けばいい絵が描けるよっていうアドバイスができる。だから、絵画展でみんな賞とってくる。特別賞とか、駄目でも入選。全部の賞の中の、半分はもらった。一番良かった時は、自分の教室で8割ぐらい。
こういうふうにやったらいいんやって指導すると、賞もらってくると「あっ!」て喜ぶやん。で、口コミで「あそこの塾行くと学校ではなかなか賞もらえへんのにもらってくる」と。そのうちにみんな自信もってくるんで学校でもいろんなとこでももらえるようになる。それが子どもの喜びになり力になってくる。
でまたあそこ行くとええよ、ってなるんや。

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朝丘雪路の図工の思い出

女優の朝丘雪路のお父さんて誰や知っとる?
伊東深水という有名な日本画家。
料理も洗濯も自分でやれへん。みんなメイドにやらせる。日頃ご飯食べるお茶碗でも何万もするええものばっか使っとるという、そういう上流家庭なんや。
普通何万もするいい器やと桐の箱に入れたりするけど、深水は何万ぐらいのやつは入れん。ところが、このくらいの桐の箱に入れて、何かを大事にもっとる。何を入れたると思う?
彼が亡くなった時にその桐の箱にあったのは、朝丘雪路が描いたお父さんの絵。自分の子どもが描いた自分の絵。それは、他の何万とかの価値のあるものよりも、深水にとっては価値があったんや。

図工作品の残っているのは親に感謝

作品が残ってるのはそのお父さん、お母さんが、いかに自分を思ってくれとるかや。だから、親に感謝せえよ、自分が親になったら子どもさんのを残したれよ、ってことやな。

自分のは親がよくなかったもんで残ってないな。
家を建て直したり、引っ越したりすると、だんだん無くなるんや。そうでなければ結構残っとるんやない?自分の子どもの、そうパッパほからへんもん。
自分の子どもの一部の作品は残っとる。うちの子昭和53年生まれ。
引っ越しを何回かしとるもんでさ、そのたびになくなってく。いろいろやると壊れるしな。あの部屋どうなったかな?このあいだ犬がバリバリやって。幼稚園の時に俺がつくらせたやつも置いたるな。それは額に入れたる。

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図画工作の時間はどんどん少なくなってった。

あんたんたの丁度平成元年頃、学習指導要領が変わったんや。あんたんたの頃は6年生は70時間あったんや。ところが今は55時間。減っとるやん。まあ、低学年は70時間あるけど。
総合的な学習とか、英語の時間が増えてったやろ。そうすると図工の時間がなくなる可能性があるんや。
今年か来年ぐらいに中央教育審議会て言うのが作られる。それを元にして、学習指導要領は作られる。
今、世の中の動きは学力重視になっとるやろ、そして英語や道徳を教科にせいってなっとるやろ。そうすると、どこが一番弱いかっていったら図工と音楽なんや。
音楽は学級経営の中でまだいろいろやられとるけど図工はな。「心の時代」、「情操教育は大事」って前からずっと言われるのに、「世の中に出てくためには英語が大切やで増やさな」ってなってまっとるが。
ならどの教科を減らすんや。減らす教科あらへん。
だからどうするかっていうたら、土曜日の復活や。土曜日を復活させるか、図工をなくすかや。そういう時代になってっとるんや。
だから図工の人間がもっと強くやってったらなあかんのやけど。

平面偏重から立体も重視

おれも学生にさ、「小学生のときの思い出って何がある?」っていつも聞くで。そうすると、絵のことをいう学生は今は少ないな。というのは、やはり平成元年の時、学習指導要領が変わったからやな。
それまでは、絵と工作で、絵の方をやっとることが多かったんや。ところが「工作が2分の1下らないように」となった。

図工の時間の変化

教科書も編集方針が変わった。
古い教科書をいろいろ集めるといいな。それまではな、担任の先生から見た時に「こういう作品を子どもんたに描かせるといいなあ」という、憧れの作品が載っとった。ところが平成になったら、「どこの学級でも生まれる・できる」作品を載せるようになった。そういう作品を目指したら、それよりは質的に低くなるんや。
もっといい作品載せよって言っとるんやけど。

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図工は救いの教科

図工の時間が減ったら人間絶対おかしくなってまうな。
感性をのばすのもあるけど、救いの教科でもあるんや。
どういうことかっていうとさ、国語、英語、数学、何にもできへん、でも図工だけが取り柄な子がおる。その子を救ったることができるもんな。
これがいろんな教科があることによっての良さやな。
なくなったらえらいこっちゃ。

子どもの評価

子どもの評価難しいな。
できるだけ客観的でありたいけど、主観のよさもあるでな。
なんでこの絵がええっていうのが、みんなが全部同じなわけない。ある先生はだめやって言う、ある先生は良いと言う、バラバラだから成り立っとるしそれでいいんや。
基準が固定されてまったら1+1=2になってまう。算数と一緒やん。1+1=2になったり、3になったり、10になったり、いろいろあるでいいんや。それが、良さやよ。
展覧会の審査で賞を選ぶ時に、ほんとに困るよ。大体手挙げてみんなで選ぶ。一人にやらせたら、偏ってまったらあかへんで。

いい絵の指導

指導する時に考えなあかんのは、先生の思いが強すぎると、みんな同じ絵になってってまうということやな。
「こういう絵でなければならない」というのはない。基本線はいろいろあるけど、もし絵の中に子どもの個性が現れとらなんだら、誰の作品やわからなくなってまう。
子どもがこんな風に描きたいっていった時に、いろんな子どもがいるやん。顔もみんな違うんやで、いろんな絵があっていいんや。それが子どもらしさやん。
ところが、全部同じようになる「酒井式描法」という描かせ方がある。それはだめやって言っとる。それはこういう風に描かせると絶対いい絵になるっていうので、「手はここに描きましょう、顔はここに描きましょう」ってきちっと決まってまっとる。先生の指示の下にそこにそういう風にって描く。それでやるとみんな同じ絵になる。
1点だけ見るとすばらしい。でも学級全体見ると、「何やこれ全部一緒やないか」ってなる。それではあかへん。

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鑑賞について

大垣は今はもう少し鑑賞の時間も大切ににしようと言う動きでいろいろやっとる。守屋多々志美術館へできるだけ子どもんた連れてく。前はそんなにやっとらんかった。でも郷土の作家を大切にしてそれから学ぶという。
一番の鑑賞はさ、自分たちの描いた作品を見ること。それは毎時間毎時間やっとるやん。特に低学年の方は自分たの描いたやつ。中学年から高学年になるに従って視野を広げてってな。だから郷土になってくるやな。で中学校になってくるとふるさとを大切にしながらも日本、あるいは世界の所に目を広げようと言う形になってくる。
学習指導要領も考えてみんな組んだる。
(2014.5.2)

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