先生にインタビュー#3(ぽっぽさん 寺子屋 豆鉄砲・岡崎市)

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岡崎市にあるちょっとユニークな塾、寺子屋 豆鉄砲の「ぽっぽさん」にお話をうかがいました。

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中学生の補修学習指導として始めました

塾は、中学生の補修学習指導として始めたんですけど、何故か小学生が増えてきて、そこから小1〜中3まで、絞らずにみんな一緒にやったらおもしろくて。中3の子が一生懸命勉強してるのを見て、小学生も急に勉強しだしたり、小学生が遊んでるのを見て中学生が「何々?」って入ってきたり。最近はお互いにそういう風にしてておもしろいかな。

マインドマップを描き、やりたいことを決めさせる

来た子たちに「何やりたいの?」ってまず聞いて、そのやりたいことをやらせたい。
壁にペンキを塗って全部黒板にしてみたりしてて。そこにマインドマップで将来のことを問いかけたり、まじめな子が「今日やりたいこと」をやってくれてた時はこんな感じで。まず社会、理科とか自分で決めて、じゃあそれやってね、って言う風にいうと、女の子はだいたいそれでできます。
みんなどんどん上手になってくんですけど、各々特徴があって、全然違います。

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「教えるのをやめます」

去年か一昨年ぐらいに、お母さん達に「教えるのをやめます。聞かれたら応えるけど、『これやりなさい』っていうのはやめます。」って言いました。やりたいこととか、自発的に何かするっていう気持ち、自分の物差しを大事にする、ってことを大事したくて。
塾を「寺子屋」って言って、それをおもしろいと思ってくれるお母さん達はいいんですけど、「勉強を教えてください」っていうつもりのお母さんもいるんで、そこは話し合いながらやってます。

いる空間を大事にしよう

将棋やってる子もいるし、iPadを貸してあげたりもします。
iPadは、最初「何でもOK」にしてたんですけど、1〜2時間YouTube観てるだけっていうことがあって、それはやっぱり、ちょっとどうしたもんかな?と思って、最近は、「そこにいる空間を大事にしよう」ということにして、「これを『道具』として使うんだったらいいよ。YouTubeは他の空間に行っちゃうことだから、そこにいくんだったら僕を連れてってね」、っていう約束をしました。

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iPadでアニメーションづくりなど

iPadのこのアプリ、ストップモーションアニメが簡単にできるんですよ。
これを押せば写真が撮れて、前のが透けて見えて。
例えばこれ小学校1〜2年の子が作ったんですけど、「タイムマシーン」とかいって。こんなことなったり。これは小学5年生の子が描いたやつ。こんなことができたりとか。これは6年生の子なんですけど、大作で、シナリオはなくて、どんどん世界が出来てきて、最後もちゃんとオチがあるんですよ。お絵描きアプリがあって、お絵描きしたものを写真撮って動かしたいって言う子がいて、そういうアプリもあるんですよ。

おもしろい作品を発表したいけど

おもしろい作品がいっぱいあるから、これをいろんな人に見てもらいたい。でも、例えば僕がこれを勝手にホームページにアップするのは、彼らの宝物を奪っちゃうみたいだからやりたくないなと思ってて。本人が「これを見てもらいたい」って言うんだったら、自分でアップするようなしかけを作りたい。子どもたちを守ってあげれて、いろんな人が見れるっていうようなものを。

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マインクラフト

最近子どもたちがはまってるのが、「マインクラフト」ってゲームのアプリで、こうやって、壊したりしながら自分の基地を作って行くんです。
僕は操作がうまくできなくてイライラしちゃうんで全然おもしろくないんですけど。
ブロックをぽんぽんつんで、高いところに行って落ちて死ぬのを「自殺」って流行ったり、ゾンビが出てきたら「殺す」とか言ったり。それがすごく嫌で怒ったことがある。でもそういうことを言わない子達もいたんで、ほかっといた。
そしたら、やっぱりすごいおもしろいみたい。例えば女の子が牧場作ったり、例えばこいつは自分の部屋を囲って、ベッドを2つ置いて、「ちゃんと戸締まりしなきゃね」って。この子も今トロッコの公園を建設中で、わざと脱線させて、今どういうふうにしようかなって考えてるところ。

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「関わり」と「見守り」

iPad、1個しかないんですよ。そうすると順番とかルールが生まれるじゃないですか。5人いれば、できる時間がちょっと短くなるし、誰もいなければ今日は独り占めできるし。そこに話し合いができるのがいいなって。
ただ、ここに入れるアプリは僕が決めてますけど、それがいいのかどうか?ひょっとしたら本人達が見つけるのがいいのかもしれないし。
そのへんの「社会との関わり方」を僕が制限していいのか、っていうのは考えます。
今は、「関わる」ってことと、「見守る」っていうことが矛盾に思えて、どうしたらいいかなと。子どもの中にある力を引き出したい。でも「引き出す」ってことも余計なことかもしれないし、って思ったり。自分のスタンスをずっと考えてるんです。

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駄菓子屋の奥に子どもがたまるように

どうしたら一番楽しい部分が発揮できるのかを考えてあげたいなって思ってて、だから肩書き的に、「塾の先生」って言われるし自分でも言っちゃうんだけど、一般的な「塾」じゃないし、何て言ったらいいかなっていうのも悩みです。
本職はカレー屋です。ギター弾くんで、ミュージシャンかもしれない。物を作れば作家だろうと思ってるので作家かもしれない。そういった活動はしてないですけど。
カレーは、車で移動販売もやってるんですけど、駄菓子屋の奥に子どもたちのたまり場がある、みたいに、「買ってくれたら来てもいい」みたいに、飲食と塾を一緒にしちゃいたいなって思ってて。そういう感じの場所づくりをしたいなって考えてます。

「場所づくり」をしたい

今、子どもたちには「時間・空間・仲間」の「3間」が無くなってるって言われていて、それを補完してあげられるような「場所づくり」をしたい。
家一軒借りてるんですけど、そこを駄菓子屋的な感じにして、本が置いてあって、落書きしてもいいような場所があって、将棋があってボードゲームがあって、近くにちょと走ったりできる場所があったり、そんな学校帰りに寄ってってもいい、一人じゃない空間を作ってあげたいなって思ってて。

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子どもと街をつなげたい

子どもがもっと街とつながったらいいなと思ってて。例えば前に子どもたちが「おうち作りたい」って言ったんですよ。じゃあどうしたらおうち作らせてあげれるかな?って。本当に実際の家が建てたいのか、ちょっとしたモデルでも作ることで頭と手の体操になるというくらいのことでいいのか。そういう、「やりたい」っていう子どもたちの声が街の人に届いて、「教えてあげられるよ」っていろんな人が関われるような、そういうフォーマットとかができたらおもしろいなって。

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子どもが主役で

「自分のクラス」ってしないで、いろんな人が出入りした方がいい。普通の大人もくるような空間に、子どもたちがメインで入れるような。そこでは子どもが主役になれる風にして、大人はその「場」をまず整えてあげる役割でいればいい。だから僕先生じゃなくて、用務員のおじさんでいいなって。
例えば材料と道具があれば造形教室になるかもしれないし、ペンと紙があれば絵ができるかもしれないし、何でもいいんです。
でも、「アニメ作りなさい」になると、今日やりたくない子もいるだろうし、本読みたい子もいるし、でも「宿題があるからやらなきゃ」って来る子もいるから、「何やってもいい空間」っていうことの方が大事だなと思って。

インドに学ぶ、「自由と○○」

自由にさせてあげたいな、とは思うんです。でも、自由って何かとセットだと僕は最近思ってて、「自由と責任」とか、「自由とルール」とか、「何かからの自由」とか。自由って言葉が単独だとわからなくなっちゃう。
最近ちょっとインドへ行ったんですけど、彼らはものすごく本当に「自由」。でも「信仰」が日常にあるのがすごく違うとこだなと。朝起きたらおでこに灰を塗って神様のことを思ったり、ご飯食べる前にみんな歌ったり、祭壇にお香を焚いて、そこでお祈りをしたり。孤児施設に行ったんですけど、そういう、違えてはいけないすごく大事な神様との関係みたいのがちゃんとしてれば、後は大丈夫だよ、みたいな。僕はそういう風にとらえたんですけど。

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基準は自分

そういう意味で日本には「信仰」にあたるものがないんじゃないかなって。信仰心がないっていう意味じゃなくて、倫理観と言うか。昔だったら、「これやっちゃダメ」っていうのがあったわけじゃないですか。でも今は、何が常識かもよくわからない状況で、いろんな価値観があるのがどうしたらいいのか。
例えばパソコンも、子どもは触っちゃいけないって言われたりするけど、使える方がすごく情報が入ってくる。ならば情報の扱い方を教えるのか、自分で学んでく方がいいのか、どの程度制限するのか。
その距離感は探り探り。結局、自分が頭に来たら怒るっていう、シンプルなところに。「俺はそれ嫌い」とか、「俺は嫌だ」でいいのかなって。

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子どもにあれこれ指示しない

何でもありです。造形教室ではないですけど、造形ができてもいいと思ってます。でももし僕が造形ができたら、いい先生になれないと思うんです。絵が描けたら、子どもたちに、「こういう風にしなさい」とか、「こういうのがいいよ」って言っちゃうかも。何も分かんないから、できなから、いい先生になれるんじゃないかなって思う。
ある程度何かに興味が向いてきて、「こういう風なことを好きで習得したい」と思ったら、初めて、そういうスキルを持ってる先生が必要になるかもしれないですけど、最初の段階では真似して終わっちゃう。例えば、子どもたちの前でちょっと棒人間を書くと、子どもたちもそのあと棒人間しか書かなくなっちゃうんです。「あ、そうすればいいんだ」になっちゃう。最初の気づきを僕が与え過ぎちゃわない方がいい。
「こういうことが出来るよ」っていうひとつのきっかけをどうやって見せようか、その置き方はずっと考えてます。

普通の塾ではないけど

やっぱり先達があって、初めてそれに対立するものが生まれるというのはあるから、一般的な塾を否定しているわけでもないです。
もし学校がなければ、学校っぽいことをやってるかもしれないけど、今学校はあるんだから、同じことやる必要はないし、予備校的なことが必要だったら、それこそプロがいるんだからそっちへ行けばいいし。
もっとおもしろくしたいなと思ってやってますけど、そうするとどうやって生活しようかなって(笑)。
(2014.6.1)

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