先生にインタビュー#5(名川敬子先生、宮崎喜一先生)

flower_child造形教室「アトリエフラワーチャイルド」(長久手市)名川敬子先生(左、以下敬子)、「Art & Life自然学校」(瀬戸市)宮崎喜一先生(右、以下喜一)は、協力して様々なことに取り組んでいらっしゃいます。私も度々参加させてもらいました!
フラワーチャイルドでお2人がご一緒の時に、お話をうかがいました。

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生きる力のベースを育てる

宮川/教室などでは、どんなことを思って何をやってきましたか?

敬子/基本は造形教室を通じて「生きる力」のベースを育てること。これを大切にしています。
大人になって絵を描かなくなっても、花を見て「きれいだな」とか、夕焼けを見て足をとめるとか、
そういう美しいものを探す「見る目」を持てたら、一生楽しい。
そういう楽しさが子どものうちに体にしみついて、一生の宝ものになってもらえたらいいなと。
そんなことを思ってやっているかもしれませんね。

喜一/ぼくの場合は専門学校で「感性教育」という授業を立ち上げた事があった。例えば海へ行って砂で作品を作ったり、山へ行ってそこにあるもので芝居を作ったりする授業をしていたね。「リサーチ」という授業では、「今日は1日三角の日だ!」って決めて、朝から晩まで三角形を探して、ただ三角の写真を撮影したりだとか。それは、世の中に溢れる「情報」から自分は何をチョイスするかという訓練の様な授業。いろんな素材に触れて手を動かし加工するという機会を作ったり。
そして「感性開発」としてのメソッドの様なものが出来上がったんだ。今思えば結構新しいことやってたなーと思う。当時は一生懸命やってたけど学内でさえなかなか評価されない所もあったな。

親子揃って感性開発!

喜一/僕はそこで思ったことがあってね。「10代後半では手遅れ」なのかもしれないって。「感性」を持つ為の素地は早くから開発した方が良いのでは。
現在、愛知県立芸術大学で「無形のデザイン」という授業をやってる。そしてこの課題という石を投げたら、その意図をすぐに拾える人と、意図が理解出来ない学生も。確かにみんな基礎的な知識や技術力はある。そして目に見える作品を作るのは上手い。でもその前に、この課題の意図である「何を作るか」ではなく、「なぜ作るか」と言うオリジナリティーのある主体性や意図が見えてこない学生も存在する。クリエイターは「物」より「事」を大切にし、発想力や創造性がなければ新しいものは作れない。そこを理解し目的にした授業なんだ。
でも中にはおそらく子どもの頃から「感性」の育つ機会を逸してきたのではと思う事が。ならば幼児の頃からその気づきの場所を作っては。という思いに至ったんだ。そしてそれを親子で体験出来る事だね。
教育というのは3つの方法がある。それはおおまかに、「学校教育」、「地域教育」、もうひとつは「家庭教育」。「学校教育」
「地域教育」はいわば他者が関与出来る。ところが「家庭教育」というのは、「親の価値観」に任されている。ならばこの際親子で体験出来る講座を通して子どもの生活環境から変えていく機会を作ってはって思いついたんだ。
僕が今開いている「2歳児クラス」「感性開発講座」は親子が対象だし、「長久手平成子ども塾」の講座も親子参加を条件。子どもに話しかけながら、実は親に語りかけていて、個性や感性を大切にした家庭教育のお手伝いをしているんだ。アトリエフラワーチャイルド造形教室の評判の一つに母親との対話を大事にしている事で主に敬子先生担当。ただ絵を教えているんじゃなくて、そのバックグラウンドにある子育てや食生活、社会との関わり、時には政治に対してもヒントを出す。フェイスブックで今の子供達の状況を語ったりもね。子どもの未来がどうなっちゃうか分からない今。だったら、今行動すべき時でもあるよね。それは僕ら自身が1人の人として発言していこうかなと思ってるんだ。

宮崎喜一メソッド・親子参加型ワークショップ(2015年3月、@ギャルリhu:)で作った泡立て器

宮崎喜一メソッド・親子参加型ワークショップ(2015年3月、@ギャルリhu:)で作った泡立て器

「遊ばされてる」つまらなさに気づいて欲しい

喜一/残念なのは、親が本屋に連れて行かない。ゲームを渡しておけば静かでいいわけで。ゲーム遊びには想像の余地もほとんど無いと思うな。
ここ(アトリエフラワーチャイルド)はもちろん「子ども塾」もそうだけど、ゲームの持ち込みは禁止。見つけたら取り上げですよ(笑)。
ゲームっていうのは、〈遊んでる〉んじゃないんだよ。〈遊ばされてる〉んだよ。〈遊んでる〉のはゲームを作ってる人だよ。それにここはキャラクターを描くのも禁止なんだよね。創造性っていうのはそこからは生まれない。誰かに遊ばされているつまらなさ。そういうとこに気づいて欲しいわけ。
僕は人の作ったものは嫌い。トランプもそう。ちっちゃい頃から大嫌いだった。他人が作ったルールで遊ぶのが嫌いで自分でルールを作って、「絶対こっちの方がおもしろい」って、やり方を考えるタイプだったの。生意気なガキだったね。実はスポーツも嫌いなんです。いわゆるルールがあってみんなで協力しあってやるゲーム的な、試合のあるようなサッカー、野球…何にも魅力を感じなかったな。そういう僕は極端だけどね。体力も弱かったから達成感がなかったし。 

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子どものすごい作品が見たいから

宮川/なぜ造形教室をやり始めたのかと、こんな子どもに育てたいというのはあるかをお聞きしたいです。

敬子/若い頃は別に子どもが大好きというわけじゃなかったんですよ。学生時代から現代美術の作家活動をしていて、教室は、その材料代稼ぎのために始めたの。でも、結婚して子どもが生まれて、子育てが始まり、作品を作り続けることがとても難しくなって、正直ずっと教室は「いつやめようか?」って思っていました。当時は全部自分1人で教室をやっていたから、準備がとにかく大変で、産後体調悪くしたりして。
だけどなぜ、今まで続けてこれたかと言えば、とにかく子どもたちのおかげだと思っています。「教えたい」とかそんなことではなくて。とにかく「彼らが作る作品を観ていたい!」それだと思う。美術に長年関わってたくさんの作品とか見てくると、「うわすごい!」という感動は、少なくなるじゃないですか、でも子どもの作品ってとにかく、感動し続けられるのですよ。みんな天才的なアーティストだと心から思っています。とにかく、彼らの作品が見たいのですよね。彼らを「育てたい」というよりは、どうやったら彼らの才能を最大限に表現してもらえる環境をつくれるか、「育っていただけるか!」そんな感じでやっていますね。

宮川/ご自分の子どもが、変わったきっかけですか?

敬子/嫌いだった「子ども」が好きになったということ?うーん自分の子どもが生まれたことがきっかけかはわからないですね。自分の子どもと教室の子どもは、まったく違いますから。どちらかというと、自分の子育てが教室の子どもたちから影響をうけたのかもしれません。
教室の子どもたちにはずっと「自分らしく」いて欲しいと思っていたので、自分の子どもにも「こうなってほしい」という私の思いはあまりなかったですね。おかげで(?)娘たちは二人とも美術には進みませんでしたから(笑)。小さい頃から絵も特に教えたりということはしなかったですね。ただ、「やりたいこと」は応援してきたつもりです。それは教室の子どもをみていて誰でも必ずなにかできることはあるということを私自身が学んでいたので、自分の娘たちにもやりたいことをやりつづけられるようにと環境づくりはしているかもしれません。
長女は今音大で声楽を学んでいますし次女は演劇を学んでいます。表現の道には進んだので方法は違うけど影響はしているのかなあとは思っていますが、今ひとつ判っていることは、自分の子どもは、やはり親なので「子ども」なんですが、造形教室の子どもは「子ども」としては私はつきあっていないのですよ。彼らとは対等な「人」としてつきあっている。教室の彼らは私が思っていたような一般的なイメージの「子ども」ではなかったのですよ。彼らは、「子ども」ではなくて、作品をつくっている時は対等なアーティストなんです。そんな視点をもちはじめた事がきっかけかもしれないですね。今では「子ども」が好きというよりは、むしろ彼らを尊敬している、リスペクトしている。そんな感じでしょうか?

得意と苦手を知ることって大切

敬子/ここ(アトリエフラワーチャイルド)は、ありとあらゆる種類のものづくりをやるので、自分の得意・不得意がすごくわかります。美術が好きなら皆同じでしょ?と思われるかもしれないですが、実はものづくりというのは、人の行いのすべてが網羅されていると思っています。例えばきちんと計画的に積み上げていく工芸的なものを作るのが得意な子とか、自由な発想が得意な子とか、空想でものを描くのが得意な子とデッサンのように本物そっくりに描くのが得意な子とか、工作が好きな子とか。同じものづくり美術とひとくくりに言っても実は様々な分野に通じる事柄がすべてここにあるのですよ。
ここでは必ずと言ってよいほど『子どもの好きなことが』見つかります。そして自分が苦手なこと・不得意なこともちゃんと見つけられる。これがすごく大事だと思っています。私は良く若い人から「好きなことが見つからない」と相談されるのですが、反対に「あなたの苦手なことはなに?」と聞きます。なぜなら「好きなことをやる」だけじゃなくて「苦手なことはやらない」でも良いと思うのですよ。苦手なことをどんどん取り除いていって残ったものが「好きなこと」かな?ぐらいのスタンスでよいのではないかなと思っています。好きなことというのはほかっておいても絶対にやりたくなります。だからこそ「苦手なことキライな事」をやらないようにすることってすごく重要だと思うのです。
私の場合は、「事務仕事はストレス」「朝同じ時間に出勤は無理」「決められたことをやるのは苦手」「人と協力していくことは苦痛」とか(笑)自分の欠点を知っていたから、社会に出る時にOLという選択は私の中からは消えた(笑)。反対にできることがこれ(造形教室)ぐらいしかなかったということなんですけどね。
それなのに、最近ではよく「好きなことを仕事にしてよいですね」と言われます。でも実はスタートしてからの10年は心のどこかで「自分のやりたことは本当はこれじゃない」って思っていた。でも今20年以上たって「これしか残っていないなら私には向いてるんだ。残りの人生はこれをやるんだ」ってようやく踏ん切りがついた。
20代の頃ガラスの工房でアシスタントをやっている時に、「10年同じこと続けてようやく一人前だ」って言われて、その時は10年って長いなあと思っていたのだけど、教室をはじめて10年たった頃その言葉の意味がわかった気がした。10年たって「ああ、ようやくスタート地点に立てた」って思った。「好きなことが見つからない」とか、「やりたい仕事じゃない」とかは、実は10年経ってからじゃないとわからないかも。
反対に10年続けられたことって、けっこう「好き」だったりするんじゃないかしら?だから私も10年過ぎた頃からやっと、「この仕事好きかもしれない」と思えるようになって、そして20年すぎた今は「この仕事大好き!!」って言えるようになった。そんな事から子どもたちにもここで好きなことを伸ばすのはもちろんの事、苦手なことにとことんチャレンジして「できない」って悔し涙を流す位のことを体験してもらえたらなと。
今、子どもたちに「できるように」お膳立てしている事が多すぎる気がしている。「できないことの体験」の方ができる事をやるよりもずっと貴重な体験。最初からは、できなくて当たり前なのに、はじめから「できるもの」を子どもたちに用意しすぎ。子ども時代にどれだけ自分にはできないことがたくさんあるのかを知る体験はとても大事。教室で、出来なくて悔し涙を流す子どもは、その後すごく努力したり、注意深くなったり、成長する。できないことができるようになることの身体で感じる達成感。今の世の中子どもから奪いすぎている気がしています。とにかく小さい達成感をいっぱい味わってほしいと思いますね。

杜の宮市(一宮市)にてアルミのカレースプーンを作るワークショプを出店された時(2013年4月)

杜の宮市(一宮市)にてアルミのカレースプーンを作るワークショプを出店された時、学生さんもお手伝い(2013年4月)

「失敗」はない、「できない」も言わない

敬子/うちの教室で、言ってはいけない言葉っていうのがいくつかあって、「失敗した」という言葉。「失敗したから新しい紙ください」って言うと、これでは新しい紙は渡さない。「気に入らないから紙ください」これには新しい紙を渡す。「
誰が《失敗》って決めるの?それは自分だよね。でも絵に《失敗》なんてないじゃない?絵って自分が描いて気に入らないから「嫌」なのであって、それは《失敗》じゃない。『気に入らないから紙ください』でしょ?」と、これを言うと子どもたちすごく驚くのね。でもその後、とても納得した顔をしてニヤリとする。「失敗してもいいんだ」という安心感を持つと、絵は急に生き生きとしてくる。失敗かどうかの決定権は自分にあるということを知るのですよ。
何度も言います。失敗かどうかは自分が決めること。人に言われることではない。これものすごく重要。
あとね、やる前に『できない』と言うのも禁止。3才の子でもやる前に手もつけていないのに「できない」って言うの。3歳ってまだ生まれて3年しかたっていないわけで、初めてのことができない、わからないのは、あたりまえのこと。あたりまえだから、「やる」んじゃないか?と、まじめに子どもたちに問いかけます。「やってもいないのにできないできないって言わない!」と、すると、3歳でも「わかる」んですよ。「あっ、そうか」って顔をする。「失敗してもいいんだ」だから「やればいいんだ」となるわけなんです。
「できないだろう」「わからないだろう」って実は大人が決めているだけじゃないかって、彼らをみていると思います。だって彼ら本当はみんな「やりたい」気持ちいっぱいなんだもん。やるな!やめろ〜やめてくれ〜って言ってもみんなやりたいことはやめてくれない(笑)できないといって泣いていた子にもうやめてもいいよっていってもやめない。歯をくいしばって泣きながらチャレンジして、そして「できた」時のあの笑顔!!たまりません。
これを積み重ねていくと、いわゆる「根拠のない自信」につながっていくのです。生きるためにはこの「失敗を怖れない根拠のない自信」すごく重要なことなんです。

喜一/世間が「失敗」したと思っても、自分が「失敗」と思わなきゃいいもんね。 敬子/もっと言うとね、「失敗」できるのはチャレンジしたやつだけなの。皆の言う「失敗」の「失敗」は小さいのよ。もっと大きな失敗をやらかした時に失敗という言葉を使う様に!

「言って」やれ、有言実行。

喜一/僕は「不言実行」という言葉が嫌いなんだ。日本人てそういうの好きじゃない?

敬子/黙ってやる。みたいな?

喜一/20年30年も黙って近所の公園を掃除していた人が表彰されたりする。日本人ってそういう発想じゃないじゃないですか。コツコツコソコソやったことが評価される。でもそれムカッとする。

敬子/それは喜一さんがひねくれているだけじゃない?(笑)

喜一/だってさ、僕が順位をつけるならまず「有言実行」だよな。次は「有言不実行」だ。3番目は「不言実行」かな、そして「不言不実行」かもしれない。つまりは、公言すること、人に表現することってすごい大事なことであって。それでもしできなかった場合には自分で責任をもてばいいわけだからさ。何ら問題ないわけじゃないですか。
こういうことは学校の先生は決して教えない。うちの親はそうだった。「言って、やりなさい」って。

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本を作りたい

宮川/学校の図工教育だけには限界があって、そこを補えるのが造形教室かなと思っていますが。

敬子/私は死ぬまでにマニュアル本を作りたいんですよ。小学校の美術教育6年間を通じて「これを見ておけばいい」みたいな本を。図工の授業で、100%とは言わないけどある程度、の「生きる力の基礎」ができると思うから、ぜひ作りたいですね。これ、有言実行!?
今「地球暦」というカレンダーを使っているんですが、暦とカリキュラムを合わせたものを作りたい。実際に、今すでに教室のプログラムでは実行しているのですが、季節にあわせたプログラムを作っています。たとえば夏至すぎたこの頃は、子ども達は落ち着きがない!テンション高い!これは毎年その傾向になるのです。だから夏は体感できるプログラムにする。秋から冬にかけては集中力のあるプログラムにしています。
自然と協調したプログラムというのは子どもたちに無理が少ない。これがとてもスムーズ。もっと人間は自然のリズムを意識した方が楽になれると思います。本当に小学校の美術、もっと変わっていただけたらと…。

喜一/夏休みの課題ってさ、だいたい牛乳パックとペットボトルだけど。

敬子/素材として、美しくないですよね。何が「リサイクルアート」かな?と。日本人の美意識はもっと高かったはず。リサイクルを言うならば、木や竹、紙などの自然素材でやればいいと思う。一番のリサイクルですよね。

喜一/ゴミはどう手を加えても結局ゴミだよね。

敬子/本当、それより家にある一輪の花をデッサンしてくださいって言った方が絶対良いと思う。
すごく絵が好きで、良い絵を描く子が学校でぜんぜん評価されなくて落ち込んで教室に来るんですね。そうするとお母さんたちも、「学校でうちの子、こんな絵は良くないっていわれた」と、聞けば「太陽を黄色に塗ったら《太陽は赤く塗りなさいと言われた》」とか「空をオレンジ色に塗ったら《空は水色、木は緑》」とか、きちんと描けていないと成績にならないらしく、だから「ちゃんと描けるように指導してください」って。「ちゃんと」って何?ってなるでしょ。
日本の美術教育って、戦前からずっと変わっていないんじゃないか?と思ってしまう。最近は美術の教科書に現代美術も載ってるけど、結局評価されるのって写真みたいにきれいに描けたりする子。だから美術はわからない。できない、苦手って意識を持つ人多いんじゃないかな?なんというのか観ててドキドキするような、あっとおどろくような新しいものを作り出すとか、発想することとか、人と同じことやってたらきっとできない。造形教室では、ものすごくいい絵を描く子が学校でなかなか評価されないということが、けっこうあります。
全部が全部というわけではもちろんないです。一部そういうことがある。ということですが…
やはり美術や音楽、体育は専門の指導者がいると良いなあとはおもいます。

ブラックライトと蛍光の素材で作られたいろいろ。(2015年8月 @フラワーチャイル)

ブラックライトと、蛍光の素材で作られたいろいろ。(2015年8月、@フラワーチャイルド)

「美意識」で革命を起こす

敬子/喜一さんの説明では、「『美意識』を持てば、環境も変わる、社会も変わる」って。

喜一/革命を起こしたいね。意識革命!

敬子/日本人の庭とか茶道とか、とにかく技術力の高さとか素晴らしいと思う。今日も石垣で、そんな話をしていたところですよね。

喜一/今日ね、新しくできたタワーマンションの前を通ったら、前に石垣があるのね。その石垣の石積みのひどくて、観るからにスカスカなの。わかる?こうきちっと積み上げられていなくて隙間だらけで、高級マンションの、「ファサード」っていうか、入り口の一番重要なところの石垣が、もう雑でどうしようもない作りになっていて驚いた。お金をかけても職人の腕がないと、せっかくの石垣がそれこそ台無しに。
しかし、この前鶴舞公園の近く、ちょっと裏通りに入ったところを歩いていて発見した、おそらく昭和初期に造られた石垣の作りの美しさといったらなかった。

敬子/円頓寺の所の石垣も。とにかく美しい。瀬戸の街中もいいですよね。

喜一/そうそう。アートというよりも、きちんとした職人仕事も日本人がもっていた美意識のひとつだと僕は思う。だから、そういうものがなくなっていくことはすごく残念だなと思うのですよ。
前にね、某私立芸大の就職課の人に頼まれて就活推進の為の講演をしたのですよ。その講演テーマは「アーティストはいらない。世間に出たときに、職人になるべきだ」って。そしたら就職課の人後ですごく怒られたよ!「先生!そういう話をしてもらおうと思って呼んだんじゃないんですよ!」って。

子どもに種を埋める

宮川/日本人は批判的なものの見方が苦手ですよね。

敬子/だから芸術がすごく大事なの。例えば「千と千尋」とか、宮崎作品はあれは、見る人によって受け取るメッセージがまるで違う。含まれているメッセージは、見る人によっては様々な方法で届くんだけど、でもファンタジーでオブラートに包んでて、問題にならないようにしてある。ああいうやり方っていうのはすごく日本的だと思うのね。私もできればそういう感じで、物事を変えていきたいなあ。見た目はなんとなく普通に、当たり前のことを当たり前のようにやってるんだけれども、なにかが大きくものすごい変わってく。
造形教室でやってることって、そういう感じなとこがあって。ものすごく鋭いことを子どもたちには伝えながら実は彼らにはそういう種をちゃんと埋め込んでる。美術ってそういう風に使うものかもしれない。革命を起こすより、意識革命を起こす方が美しい!
私自身が、子どもたちの作品で、意識革命をおこしてもらったんですよね。彼らの素晴らしい感性と才能をいかに育てていけるか、それは彼らからもらった「意識革命」の恩返しとして、これからも続けていきたいと思っています。

(2014.6.26)

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