先生にインタビュー#6(愛教大 富山祥瑞先生)

DSCN8635愛教大 富山祥瑞先生
先行研究についてCiNii(サイニー)という論文検索サイトで「図画工作」というキーワードで検索した中で、「教科としての「図画工作・美術」が抱える課題 ―教育学部・大学生の回想による調査報告―(2013)」の論文がヒットしました。「回想」という部分が「思い出」とまさに似ていることから、その著者である富山先生がこんなに近く(愛知教育大学)にいらっしゃるならお会いしてお話ししよう、と伺いました。
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図工の教科書について

富山/図工・美術の教科書ってとにかく薄いね。
これね、プロセスが何も書いてないんですよ。出来上がった作品がぽんぽんと載っているだけで、「構想」のことが一切載ってない。数学や算数の教科書は、むしろ構想が載っているんですよ。こういう事象がある→共通するとこういう定理が見つかる→基礎問題を解いてみよう→応用問題を解いてみようとなっている。
美術作品が載っていたとして「鑑賞しましょう」となっても、作品背景が先生も分からない。
現場の先生は多分、ほとんど教科書を使っていないと思う。使いようがないから。
小中学校の図工美術教育には「美術史」が入ってないから、鑑賞教育は出来るはずがない。鑑賞って、その時代の宗教観とか歴史観とか背景があって成立してるんだけど、それ抜きにして「感想を言いましょう」と問うても言える訳がない。背景がわからないと語れない。
単に絵を見て「どうですか?」、だったら、当然「何となく好き」とかになってしまう。
今、図工・美術では「鑑賞」を取り入れることになっているけど、現状だと先生も子どもに、ただ感想を聞くだけになっちゃう。絵ができてくるというのは、その画家なりの背景があってからこそなので。ただ「思った通り描いた」わけでないわけで。そこを全く抜きにして、成長期の子どもに、どう感じるかと聞いてもね。ませた子は、きっと何かそれっぽいことを言うでしょう。でも、それはちょっと鑑賞とは違うかな?と。

論文のベースとなったアンケートについて

富山/調査(回想作文)のきっかけは、学生に聞くと「図工美術が嫌いでしょうがなかった」という人が大多数なのです。文科省の調査(=図工は人気科目)と違うからです。そのギャップを埋めようとしたのが最初のきっかけなんです。
図工・美術は「何もしないでもいいからよかった」とか、「遊びの時間だったからよかった」などの、マイナスの部分が評価されての結果のようです。体育も人気が高いですが、おそらく似たようなところがあるのではないでしょうか。
宮川/私もアンケート調査したんですけど、アンケート自体を期待したようには一生懸命やってくれないですよね。
富山/私の調査は基本的に設問は無しで、大学生に「図工・美術の思い出を作文に」ってやってるんですけど、中には「何も覚えてないんですよね」みたいなこと書く大学生もいます。でも子どもに聞いても出てこないですよね。教育学部の学生に聞いたから、振り返って割と客観的なデータが出たと思ってます。
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教育はマネージメント

富山/「教育学部とは何ぞや」と言う問題もあります。
もっと根本的な問題は、小学校の教員を養成している大学での図工・美術教育の在り方。
教育学部でアーティストになってる人もいますが、教育学部は専門分野も学ぶけど、マネージメントを学ぶところ。私たちはアーチストを養成している訳ではなくて、マネージャーを養成しているつもりなんです。
マネージャーとアーチストだったらアーチストの方が偉いって一般的にはなってるかもしれないけど、そんな事は全然ないからね。最近、幸いなことに「マネージメント」という言葉が良い意味で捉えられるようになりました。例えば『もしドラ』がベストセラーになった時に、全国の高校野球の女子マネージャーがものすごく増えたらしいんだけど。昔はマネージャーと言うとお手伝い、みたいな感じでしたが…。うちの大学でやってるのは、もうこの「美術のマネージメント教育」ですから。いい意味でのマネージメントという言葉が使われるようになってちょっとよかったなって思って。
教育大学は他の専攻もそうで、本来は科学者を養成している訳じゃなくて理科のマネージャーを、文学者を養成しているわけではなくて国語のマネージャーを養成しているんです。
うちの大学に来る学生もそうなんですけど、「美術」って言ったら「絵」と思っちゃうんですよね。でも実は多くの領域がありますね。
うちの1年生に最初に言うのは「あなたたちは多分、親戚から『愛教大の美術科に入ったの? どんな絵を描くの?』て聞かれるでしょう」って。
一般市民は、美術の他の領域があるのを知らない。美術って言ったら「絵」なんです。「でも、あなたたちはいろいろやってきたはず、特に図工では。だけどほとんど『絵』になってる。なんでだろう?」って。
うちを目指す高校生に対しても「美術は絵だけじゃありませんよ」と、言っているぐらいなんですよ。
教育大学の美術科が目指すものは、美術を通し未来からの留学生である子どもたちの教育を担います。そういう人、来てください。絵を描きたいとか、彫刻をやりたい人、教育に興味のない人は美術大学に行ってください」と言っている。「間違えて入ってきた人は考え方を直してください。マネージャーだから」と。
「工芸や、絵画がやりたいならそれもいい、でも同じ位マネージャーやって。教育学部で学ぶ美術の分野は、美術と、美術を教え育むマネージメントの両輪、両方をやってください。教育大学は片方が大きくてもだめですよ。だから大変だけど、それでも来てください」というふうに説明してます。

家庭と教育について

宮川/私の教育学部時代の同級生の半分以上が先生になったんですが、多くの女子は3年位勤めてお母さんになっちゃたりとか、止めちゃったんです。もったいないと言うか何というか。
富山/最近は、教育を学ぶことは、自分の子どもを育てるっていう意味でも役立つという気もしてるんです。学校のように多くを相手ではなく、1人とか2人だろうけど。
男女共同参画みたいのがありますよね、家庭に入るよりも仕事でバリバリというのが良いみたいに取られてる。私も昔はそうだと思ってたけど、子育ても学校教育も、次世代、未来をつくっている。
家庭にいて子育てするのは負け組で、みたいな考え方はおかしいのかなって。
実は学生の中にもね、キャリアだ、対等だっていう人あんまりいないんですよ。それよりも子育てをしたい、とかね。それは、いわゆる強い女性からしてみれば、だめなのかもしれないけど。
そこに何で気付いたかと言ったら、「金麦」のCMですね。女優の壇れいが出てきて、全部カメラ目線で喋るやつ。このCMシリーズが5年ぐらい続いていると思いますが、目線が全て旦那さんなんですよ。昔は夫に尽くすのは女性蔑視って捉えられていました。でも数年前から、当CMを大学生に見せると「こういうかわいいお嫁さんになりたい」という声が多くなっているんですよ。反応を聞いてちょっと意外で。時代がぐるっと回って、また今こっち系になってるんじゃないかな、と思って。
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卒展で図工の指導案を作った人のこと

富山/先行事例になるんですけどね、おもしろい研究を紹介します。愛教大じゃないけど今から5年ぐらい前、美術大学の学生が作った、小・中学校のいわゆる指導案です。
この学生は、美術は「教科」と捉えるのでなく、国語や数学、家庭科などのすべての共通項として美術が在るんじゃないか、というコンセプト、これが画期的ですね。
「国語のしりとり、ことわざを、デザインでやったらどうなるか」とかね、家庭科では更に具体的で「キッチンを作るとしたら、どうやって作りますか」、これが図工の指導案になってるんですよ。一見すると家庭科、でもどう使い勝手がいいか、どうしたいか、どう工夫があるべきか、そうやって考えていくのが図工・美術の分野だろうって。
他にも例えば「図書館の棚をつくる時、どうするか」みたいな例があって、生活の中の課題をどう解決するか考えていくプロセスを、デザインという概念で捉えている。
彼女は教育実習の経験はしたことがないけど、出身校にいって授業をさせてもらったり、正規の授業はできないから、放課後や土曜日に生徒を集めてやったみたいです。タイトルは「     」でした。
すべてのカリキュラムの中に図工・美術を含ませる。科目を横断するんですよ。美術をベースにした言わば複合領域。学部の学生ですよ。うちの大学院の美術教育のレヴェルも越えていますね。美大ですので「教育」についての指導教員がいないんですよ。だから1人でこつこつやったそうで。
卒展の会場に行ったら本人がいたもんだから、いろいろ話をして「小冊子ができたら送ります」となって。卒業研究の会場で「送ります」と言っても、ふつう届かないですよね。でも、彼女からはキチンと郵便が届き、その後は何回か愛教大にも来ていただきました。この人、造形教室みたいなところでアルバイトしているらしいのですが、いずれ愛教大の大学院にきたいと言っています。
宮川/今すぐ入れそうな気がします。
富山/まあ、人生設計上いろいろあると思います。でもあんまり、大学の中では評価よくなかったみたいですね。地味といえば地味なので。彼女は残念ながら教育学部じゃないから小学校の教員免許がとれなかった。私は、この卒制、とても評価しました。この教育システムが作品となっているんです。この人の。
宮川/そうですね。これでプレゼンしたら見た目は地味だけど、内容はすばらしいと思います。

私の研究へのアドバイス

宮川/今度「大学美術教育学会」というのに入ったので、発表をしたいと思っています。この前、福井工業大学での「デザイン学会」で発表してきました。発表したポスターを持ってきました。
そこで知り合った人にから「こういうことを言いたいんだったら大学美術教育学会に入ったほうがいいよ」って言われて。似たことを他でも聞いたので、じゃあ入らなきゃいけない、と思って。「もしそこで影響力のある発表とかをしたら、例えば中教審とかにも届いたらいいね」とか、そういう話をしました。やったことをまとめただけなんですけど。
富山/状況の整理でだけでは論文にはなりません。次、プロジェクトにするには、ビジョンをピョンって飛ばさないと。自分が何の提案をするか。
宮川/今思いついたんですけど、「図工の思い出プロジェクト」の思い出の作品を集めて展示するような「美術館」を作るとか、はどうでしょうか。
富山/着地点やテーマは作者によっていろいろだから。それをうまく裏付けて、第三者が説得できる企画に成り立ったら、それも大いにありなのかもしれない。
宮川/富山先生は子どもの頃の作品は残されていますか?
富山/子どもの頃の絵ってあんまとってないんだな。とってる方は、本人じゃなく、親が保管してるんですか?
宮川/たいてい親です。
富山/そしたら、こういうのもアリかもしれないね。「大人の図画工作」とかいって、昔をベースに語るとか、「大人のための図画工作科再教育化計画」みたいな。そうであれば現職の先生に会うとおもしろいかな。そしたら授業案の再現ができちゃうから。
夏休みに、教員免許証講習が開かれるのですけど、現職の先生が必ず10年目・20年目にいろんな大学で研修を受けなきゃいけない。そこで例えば、今言った「大人のための図画工作科再教育化計画」。自分が描いた絵を当時の先生はこういう意図で私を指導したんだろうなという、指導案を再現するんですよ。
そういうの1回受けたら、2学期からは適当にはしなくなるでしょうね、きっと。現職の先生を相手に、ただ指導案を書きましょう、とシミュレーションやったところで意義は見出せないし、「暑いのに面倒くさいこと言って」となるだけだから。
過去の指導学生に加藤という男がいて、彼は今M大の大学院生で、修論書かないといけないって言ってますが、「中学校美術Q&A」を運営しています。サイトも彼が作ってると思いますよ。案内チラシやロゴも全部自分で版下から作ってるらしいです。
この人は去年の大学院1年次に教員採用試験に合格してるから、次の春からは三重県の高校の先生をするはずです。学部を卒業して、1年間だけ中学校の先生だったんですよ。でも「このままじゃ潰れる!」とか言って。消化不良のまま教員をやっていくことへの疑問と、部活の顧問をさせられて、全く身動きができない状態だったようです。教員としてインプットもしていかないといけないし、いろいろ想いがあったと思います。
宮川さんの研究と似た部分があるかもしれない。彼は、中学校の美術教員の配置や年齢別構成が非常にバランスが悪いのを全国レヴェルで調査してる。今のままいくと、時間数が減るどころか、10年後には中学校で美術教員がいなくなるんだって。年齢的にかたよってて、一斉に定年になって、それでその後が採用ないから。特に深刻なのが岩手県だとか言ってました。
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「がんばれ図工の時間」について

宮川/『がんばれ図工の時間』という運動がありますよね。それ、インターネットで検索すると文字では出てくるんですけど、内容がよくわからないです。ご存知ですか?
富山/それはですね、ちょっと途中で息が絶えてしまったのですが、今から7、8年前に「図工の時間が減ったら困ります」という署名運動が、技術とか工学系、あと美術系の大学や高校とかの教員の間であったんです。結局その時の改訂で時間数は減らなかったんだけど。これが当時のチラシです。裏に署名用紙になっています。これはね、結局「なんだったんだろう?」って感じでうやむやで終わっちゃいました。
この運動のメッセージは、「図工の時間が減ったら困ります。何故かと言うと子どもから期待されているからです」「子どもはそう思ってる一方で、父兄からは期待されていません。図工・美術は主要<以外>科目であって、教科じゃないからです」となっています。まさに、ここが問題で、それで「図工の時間が減ると困ります、署名しましょう」って言ってる。でも先ほどお話したギャップ(※子どもには人気だが、教育学部の大学生に回想してもらうと、真逆の調査結果)については全く触れてないんですよ。
結論から言うと私は署名しませんでした。だって別に「遊びの時間だったからよかった」のが図工の時間の内容だったら無くなっていいから。「こう思われてる中身を変えよう」じゃなくて、「不当に減らされようとしているので反対しましょう」になってる。これは違うでしょ、って、宮川さんが私を訪ねるきっかけとなった論文に書きました。後ろの括りで。
デザイン学会は最近入ったの?こういう黒い冊子があるんだけど。
宮川/去年ですけど、学生会員には本が送られてこなくて。
富山/学生会員と一般会員って違うんだ。これは学会誌に載せた論文。私の結論は「教育学部の中で未来の先生に対して、しっかり図工・美術教育をやればいい」。
今、教育学部の中でしっかり教育をやれば、その学生が先生になった時に問題が解決に近づく。これをデザイン教育について書いたのです。タイトルは「教育学部でデザイン教育をデザインする」です。
大学の授業でやってきた「いろんな調査をしてく中で、課題を見つけて、次に課題を裏付ける調査、そして企画がある」っていう話をまとめた。論文と言うよりは、授業カリキュラムになっています。

お化け退治をしましょう

富山/「お化け退治しましょうよ」と現場の先生には話しています。「お化け」とは何かっていったら、<個性・自由・センス>という便利な言葉です。
指導要領の美術・図工の目標には、ちゃんと「発想・構想の能力+表現の能力」って書いてあるんです。
いわゆるビジネスの世界では、マネージメントが大事です。今は地縁・血縁・世渡り上手だけでは経営できない。だからこそマネージメント。
体育では、昔は<気合・根性・運動神経>だった。でも今は「スポーツ科学」になってます。何となく分かると思います。オリンピックのコーチとかみたいに。まあオリンピックの場合は才能+マネージメントだから、ちょっと義務教育とは違うけど。
でも美術は、まだそこまで行っていませんよね。まだ<気合・根性・運動神経>みたいに、<個性・自由・センス>と言っている。でも、それはちょっと違う。義務教育だったら「ハイ、自由にやりなさい」じゃなくて、きちんと段階を踏ませましょう。子どもに「雑な性格だから」とか、「嫌いだから」とかは言わせない。だって義務教育だから、誰でもできるようになるのが目的だから。ネガティブな面が出るとしたら、それは誰でもできるようになるカリキュラムを組んでない教師が悪いのです。何かをやるには「目標」があるのに、図工はこうなってる(※断崖絶壁の図)でしょう? いきなり「登っておいでよ」って言っても、子どもは困る。そこで段階的に「登り方」を教えないといけない。これは教師の仕事で、個性とかセンスは全然関係ない。個性や自由が在るなら、その後です。
小中学校の先生を対象に「お化け退治をしましょう」の講演をしました。でも反論は1件もでなかったし、報告書を見ると「納得した」旨の声が載っていました。なぜなら調査した結果ですから。調査が無かったら、単にあなたの思いでしょ、って言われるでしょうが、これは調査結果なのです。
崖と階段の絵は教育書の図ですが美術は崖のままではないでしょうか。ここが図工・美術の問題点。
「思い浮かんだことを作ろう」、これでは難易度Eですよ。普通はできない。思ったことをどうやったら形にできるの? 無理なことを先生たちは言ってしまってますよ。「情操教育ですから」って逃げてませんか?
図工・美術教育界にはびこる「お化け」って何かって言ったら<個性・自由・センス>。かっこいいですよ、一見。もっとも。でも指導要領にそんなこと書いていません。「発想・構想の能力+表現の理論」。だから「一緒にお化け退治をしましょう」
もう1回いうけど、私の中で一番お化け退治しやすいのがここ、教育大学。「学校の先生になる人に対して教育すれば、解決する」

(2014.7.18)

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