先生にインタビュー#7(アトリエコドッコぶくろ 横井裕子さん)

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横井裕子先生

名古屋市内。大学院の石井先生、森先生がお知り合いとのことでご紹介いただき、森先生と一緒に教室を訪問、ユニークな様子を取材させてもらうことに。
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子どものクラスで

宮川/絵が楽しいんだね。
子どもさんのお母さん(以下母)/家では紙さえあればずーっとこうやっているので。
宮川/ここはなんでもあって探検しがいがありそうですね。
横井/教室でその日にやる事は、テーマをとりあえず用意しておく時もあるんだけど、最初のきっかけになりそうな事くらいで、何が始まるかわからない時もある。
母/「今日は気持ちいいからじゃあ河原でお絵描きしましょう」とかって出掛けたり。いろんなものをフルに楽しめる。
横井/これは昔来てた子が、土と紙を混ぜて「固まるかな」って実験したら本当に固まってできた物。割れちゃったからそのまま置いておいたら、それを別の子が見つけて 興味を持って 再利用し始めたの。
ちっちゃい子の授業は再利用が多いんですよ。子供は 子供同志一緒に遊ぶでしょ。他の子が遊んでた物で 別の遊びが始まるのは 自然みたい。
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(子供に話しかける。)「いいのができたね、それはハサミで切らなくてもいい?塗ってみる?」
この前の授業で、こういうような、おだんごみたいなのを作って、ヤマト糊で和紙にくっつけて遊んだんですけど。
母/こういう(たっぷりの糊の)感触、大好きですよね。先生は、家だったら絶対ダメっていうことを、危険なこと以外は全部許してくれて、自分ができることを全部試せる。(例えば使いすぎと すぐに止めないで、まず子供のやりたい事が何かを観る。)世界が広がってる感じがするんですよね。
家だとやっぱり制限しちゃうことが多いから。

横井/「たいへん食卓が〜!」みたいな。
宮川/ここでやったものは作品として持って帰ったりするんですか?
母/そうです。1回で集中して いっぱいいろんなものをやるので、全部飾ることはできないです。たまってく感じですね。
宮川/これだと乾くのも大変だし。
母/そうです、ここでやると先生が乾かしてくれて、次の時間にくれたりするんですけど。
子どもさんのお父さん(以下父)/家だと乾かしてる間に犬が食べたりする。
母/そうそう、小麦使ってたりすると。この間はね、貝殻に色塗りやったんだけど、それが妙に歯ざわりがいいみたいで。この子が「ダメー!」とか犬に言ってたり。
父/なんでも食べるもんね。
母/河原でお絵描きするときは、うちの犬も連れてって、一緒に参加したりもします。

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教室について

横井/造形実験とか素材実験とかを来た人にやらせると、思わぬ遊びがあるな、と思ってます。
宮川/「形にしよう」という感じではないですね。
横井/うん。
私自身、以前、河合塾で 受験生に 指導してた頃は 構成だ、デッサンだとかそんな感じで いたんだけど、今は 違う感覚で 生徒の様子を観ている。 子供たちは、ここでは 自由に試したくなった事を遊んで、やってみたくなった事をして、ただ体験を積んで楽しい時間があるという感じで 自由に過ごす。そういうことが 子供の 自信や関心になっていて、そのうちに 園とか小学校で みんなと一緒に 何かを しっかり作って形にする機会がある時に、こんなに工夫して時間を掛けて作ったよって、それも楽しんでいるみたい。…それが分かってからは、うちでは本人のやりたいようにやりたいだけ体験するだけでもいいかな、と思うようになっていった。感性や作ること自体が、好きで自然なありかたになる様に、子供たちの欲求に合わせてみる方針に 変えていきました。
だいたい小さい子は1個のことにだけ長く集中することはあんまりなくて、こっちやったりあっちやったりっていう感じです。最初考えてたことよりこっちのがおもしろくなったから、今日はこっちでいいね、とか。そっちのほうが、体験的な思考になるし、どんどん子どもが自然体になってくのかな。落ち着きが出てくる。いろいろ難しいな、最近の子は昔と違うな、って 初めは思ってたけど、接していくと そうとは言えないなと感じ、だんだん、ここでは まず好きにやらせてあげられるようにしていこうと 変わりました。
京都にいたときに、作家とか職人さんの2世3世の人に 制作活動を続けてる人が多いところと思った。どう今後プロとして自分の制作をやっていくか?とか 覚悟をしてるような人たちと、真面目に制作について話していると、子どもの時の事が わりと大切に認識され 考えられていて、…私自身はそういう記憶の掘り起こしとかした事がなかったから、「ふーん、ふーん」という感じで聞いてた。で、それを参考にして、作り手である子どもにとっての良い授業は何かを考えたのが 始まりかな。最近こっちの教室になってから、より実験的に 本人がやり始めることをやらせてみた。そうしたら、今まで 人から聞いたり、本で読んだり、それまでの美術教室で接した事では 子供がやらなかった 初めての出来事が どんどん子供の行動で出てくるから、…「これは肝を据えてやってみよう」という感じです。
大人の受講生(以下◯)/けっこうここの教室の子どもさん、本当に自由にやってますよね。絵の教室に通ってます、じゃない感じ。遊びに来てます、みたいな。
横井/最初は「うまく描きたい」とか「私うまいでしょ」ていう子までいるんだけど、そういう子には 私は「うまくなくていいんだよ」とか「遊びが勉強になるんだよ」とか、そういうことばかり言ってさ。
宮川/いいなあ。
横井/自然のトコに連れ出すと今まで考えてたことが通用しないから、どんどん河原とかに 現代っ子を引っ張ってってみた。まあ、1時間もすればすぐに慣れてくるから。例えば虫や草を怖がる子がいる。野原につれてくと、最初は嫌がるんだけど、そういう子って大体お母さんが怖がるから自分も怖いものだと思っているわけで。「蟻は、大したことないよ」って、私が平気なのを見せると、逃げなくてもいいみたいだなってわかって 平気になる。まだ少し怖いけど、息をふーふー 小さな虫にかけて、吹き飛ばして 平気なんだと確かめたりしだす。
草が揺れただけで「怖い」っていう子もいるよ。
森/実態がわかってないから怖いんだよね。分かれば大丈夫になるよね。
横井/そうだね、話を聞いてくと、実はテレビで怖いシーンで草がぞわそわっていうのをみただけみたい。
森/そういうことか。

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作品を見せてもらう

横井/まったりやってるから、1回1回の授業は結構面白いけれど、制作した作品という様な完成度の高さは無いし、 子供が やりたいだけで終わっている。「過程の時間が本人にとって楽しかった」って感じの時間で、その物自体は、飾ったり、長く残したりされない物が たくさんできるという風です。
それでも、これをしっかり作ろうという本人からの意志が働く時が現れる時が 時々ある。
これは、この間 年少さんが描いた字。この子は、字を形で見よう見まねで 書く。書き順は まだ教えられていない。オマケに左利きの子だから 鏡文字とか逆さま文字になってる。(それは自然な状態です。)
その字で、子供が自分で考えて作ったおはなしを朗読しながら 端から1個1個書いていったんだ。途中で「この字はどう書くの」って、わからない字を私に聞くので 紙に書くと、その形を観て 自分で書く。こっちを書いて、続きを書く場所が無くなったら こっちの余白に 続きが飛んじゃうとか、順番は むちゃくちゃなの。(でも本人は、読めれるから 表現として問題ではない。) 1個書いては 止まって、長いおはなしの どこまで書いたかわかんなくなったから、また最初に戻って朗読からやり直す。そして、また一文字を書く。30分以上かな、すごい気迫で集中してて、最後まで書ききった。何枚かの画用紙を 繋いで この大作になりました。

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その作品を見せたら、この子(小学生)は触発されて、またおもしろいのが書かれた。「今ピアノと絵の教室に行ってるから、書道を習いたいんだけど習わせてもらってない」って言う。「じゃあ今やんなよ」って言って和紙をあげて 字を書く様に勧めてみた。こっちは今 はやりの妖怪ウォッチ。一つは 紙を見て描いたやつで、こっちのは目をつぶって見ないで筆で描いたの。

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「先生が紙を横に持ってくれたのに描いたのがおもしろかったから、もう一回やりたい。」って言う。空中で長い紙を横に持ち、そこに子供が毛筆で書かせた大作!私が「よーし!」って紙を持ち上げて、紙の裏から見てたら、こちらからは筆が見えないのに紙に墨の字がこう現れて、驚いたり。そんな話をしながら、けっこうおもしろい感じだった。これ、あかさたな が 全部あるんだ。
宮川/地面に置いて書いたんではないんですね。
横井/そうそう、こう持った紙が揺れるがままに書くのが面白くて。この写真も、子供が 自分で撮りたいって撮ったの。「あいうえおから全部書いたら長い紙10枚いるなあ。う〜ん、じゃあ次回は材料にお金がかからない事をやるけどいい?」って、やりたいアイデアもわかるし特別だよってコトも話してやらせた。

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この子がアイデアがおもしろい子で。
宮川/これは何年生ぐらいの?
横井/3年生の子。即興で仕事をする名人だぞ〜みたいなノリで、これを作ってた。本人曰く「手形だけど靴みたいな作品」。なんか変わったこと考える子で、いつも 発想の面白さに 本人のポイントがあるの。

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最初に話した 文字の長い巻物を作った子は、山ほど工作を家で作っていて、いつもアトリエに来る時に選抜したのを持ってくるんだ。
これはもうすぐ弟が誕生日なので ケーキ。これが子ども用スカートで、これはスプーン。この子はセロテープで作るっていうのを今は楽しんでる感じ。セロテープを使えば、ありとあらゆる立体の形が作れるっていうのが分かって、試してみてるのかな。幼稚園に行く前に作品を作って、幼稚園に行ってからまた作って、で、夜寝る前にまた作ってるって、この子のお母さんが驚いてる。
あ、これがスイカ。おいしそう。これがよく作るんだけど水筒かな。けっこう精度があって。
作ってる時に気迫があって、「あ、今は声をかけてはいけないな」っていうのが時々ある。

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これは羽のペンが気にいった小学3年生。この子は酒屋さんの看板娘で、音楽がむちゃくちゃうまくて、楽器とか歌とかを よくアトリエでもする。今までは やることに型にはまった感じがあったけど、最近すごい自由になったかな。

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昨日アトリエを覗きにきた子がいた。お母さんに「せっかくだから、中でちょっと見ますか?」って話してる間に、子供は「やりたい」っていうから「いいよ」って言うと、どんどん作りだした。見学に来た ちょっとの間に「こんなのできた」って。大きかったけど幼稚園かな。すごい才能があるからなんでこんな子いるんだろうって思って。宇宙人だね。

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こっちが65歳ぐらいの人が早朝に通ってて作ったやつ。すごい頭が柔らかい人で、ノリの遊びでこんなのを作って。ちょっと色で攻めてみたりとかして。造形実験が楽しみみたい。

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結構子供は ただ来て遊んでる時も多い。おままごとがしたいから それに必要な物を作りたいっていう。そんな時は 早く使って遊びたいから、簡単にしか作らないけど、いろんな物が 何かにみえて 遊びに上手く使えるし、って 喜んでイメージを広げている。子供には 時間がたくさんあるから、そういう風に ゆっくりいろんなコトが好きになればいいなと思う。
これはその子の妹が髪の毛を切ったからお姉ちゃんが長い髪をしたいときにかぶれる帽子っていうのをつくってあげたもの。うちに置いてくものがどんどん増えていく。お母さんに聞くと、「家にもっとたくさんあります」って。
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ゆっくり自然に体験する

宮川/そんなふうに大事にしてもらえるといいな。私は下手に描けたので、形が無いものを、って言われると困っちゃう子でした。
横井/最初は「スケッチをやりたい」とか、なんとなくそういう あることを目指して うちに来た人も、造形実験とかをやったりとか墨流しをやったりすると 今までの考えに無かった新鮮な体験をして、「あ、これだけの方が、作為が無くてきれいだわね」とか言って 新しい判断が現れてくる。こっちの方がなんか楽しそうだからやってくと、 何か考え過ぎずに「すてきねー」って感じに作るのを楽しみ始める。その人が選んでやる事、話す事の流れが変わる。
意外とそういう場所と時間という機会さえあれば、充実して楽しいのかな。っていう感じ。造形実験をあえてやらせようっていう時もあるし、最近は 今日のニカワみたいに、糊を自分で自然素材から作ったりする、興味を持てる体験をさせたりしてる。残らない作品でも やる事自体に おもしろさがあるって事は、子供の保護者の人にも話できる。
うちにくると、絵を描くつもりが やらないで素材を遊び出す子供がいるけど、子供自身が 「ここでは実験して幅を広げるよ、多分 描くのはいつでもできるから。っていう感じで、なんだろうな。
宮川/遊び場みたいな感じですね。
横井/うちだと生活の事情で片付けられちゃったりとか止めなきゃいけなかったりとかいう場合は、どうしても出てきちゃうだろうし。ここなら、できるって。
例えばテープカッター使うとき、「力づくで引っ張っても切れないんだけど、こういうふうにナナメにやると力がいらないよ」、っていうのを見せてあげると、ちっちゃい子でもその日にマスターしてできるようになって、そこからはテープ使いが楽しくなる。そういう1個1個の時間を長くやるような感じで。急かさないで。観せて真似させる機会が、ゆっくり持てる。
けど、最近テレビっ子が多いから、「これをこの材料で、こういうふうにやりたいの」って 全部決めて 自分がそのテレビの役を その通りに演じたい感じで 子供がやって来る時が よくある。お母さんとちょっと相談して、例えばテレビ見過ぎだったらそのことを伝えたりとか、生活自体を変えてもらったりとか。どうしてもテレビとゲームで子育てをしちゃう場合が多いのか 緊張してなのか、子供らしくなくて不自然だなって思うと、テレビ番組で言ってる喋り方だってことが多いよ。人のやることを「変」とか「ダメ」っていう言い方とか、自信がないときに「自分のは良くない」って 言ったりする子にも、ちょっとそういう傾向のままでは まずいなって思う。
だけど、造形実験とか、ここに今ある物で何か やれるコトをみつけ出す発見を経ていくと、子どもがはっと「あ、おもしろい」って 本当の気持ちで思うみたい。本当に求めてるのはこうやって ぐちゅぐちゅ楽しんだりするのとか、自分の眼と手で 今出会った興味に 現在進行形でやれる事だと思う。決めて予定した考えや言われた事を やれるのが良いのではなくて、実感の体験の豊かさ。それが満たされる時間の為に 教室があればいいかな。
もっと褒めてあげたりとか。テレビでは無くて、普通に人との1対1で時間を過ごす事からとか。子どもは割とすぐに気が付いたりとかするかな。
宮川/素敵です。
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横井さん自身の作品について

宮川/横井さん自身は作家活動を続けてやってますか?
横井/私は教室の合間に続けてるんだけど、今はグループ展みたいなのに1点、2点て出してるだけ。個展など、これから発表活動を今、考えています。
宮川/どんな作品なんですか?
横井/いろいろやっていることがあってバラバラです。そこにあるのは私の作品なんだけど、ちょっと初めより日に焼けて色があせてる。長机をパレットにして、ここにパステルを削ったりとかニカワを混ぜたりとかやって、そこにベタって キャンバスをつけたりとかして、1週間変化し続けるっていうことだけ決めて、やり続けて仕上げたものです。この前日がポップな画面で、そっちも気に入ってて、どっちがよかったかな。

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私は色が好きなんですよ。テーマは決めずにやることが多くて。でも自然との関わりが、なんとなくテーマにはあると思います。
昔は漆で抽象的なオブジェを作ってたんだけど、ちょっと硬い仕事だったかな。教室をやりはじめたら、もうちょっと実験的な気持ちでやりたい。その方がおもしろいな。というふうに自分をどんどん変えたくなっていった。子どもと一緒に絵を描いたりとか、子どもを見た後に描いた方が、自分が自由になって、いい線が描ける気がする。普段は硬い、目的が決まった線になりやすいんだけど、なんか抜けて、子どもの落書きに近いような線がふっと出たりする。子供の様子を見てると描きたくなってしまう。
自分が子どもの時は、大人しいお人形さんを描いてるような記憶の方を覚えてる。中学校の時かな、動物園に行った時に描いたやつ、私は記憶では、それはよくなかったと思ってたんだ。だけど、今 その絵を見ると割といいところがあって、 自分で悪いと思い過ぎてたと 後で気がついた。
今ここで子供たちにやらせてるような自由さがあることは 昔の私はやっていない。だから、この子たちはどういうふうに育ってくのかなって。ちょっと楽しみな感じ。
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社会人にとっての造形教室

宮川/◯さん(教室の生徒、20代の社会人、女性)にとっては、ここは何の場所ですか?
◯/無心で絵が描けるんで、ストレス発散みたいなところもあるし、余計なことを考えなくてもいい集中できる場所でもあり。
宮川/写経みたいな?
◯/かもしれないです。普段生活してると、仕事とかいろいろ考えちゃうじゃないですか。そういうのを考えなくて目の前のことだけに集中できるんで、楽というか。
宮川/いろんな素材を使ったりしてるんですか。
◯/結構使ってます。色をたくさん使って画面を作っていくっていうのが好きで、最近はそればっかりやってますね。

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横井/彼女は最初K塾の社会人のクラスの体験に行って、静物を描いて。だけどちょっと彼女は合わなかったんで、他に探してみたらうちを見つけて。デッサンをやるつもりだったんだよね。
◯/そうなんです。でもK塾で「将来は美大受験したいんでしょ?」って言われたんですけど、「社会人コース」と「受験コース」って別じゃないんですか?
森/そもそもあそこ、受験向きだからなあ。基本的に、いわゆる造形教室的な意味はなくて、受験考えてる子達が行ってるし、社会人コースも社会人受験ていう意味だと思うんだ。
◯/そういうことなんですね。でもネットで「美術教室」って検索したら出てきたので、普通に趣味の講座もあるのかな、と思って。体験行ったらみんなけっこう本格的なデッサンやってて。奥の方で大きいサイズのも描いてて。けっこう年配の方とかもいたりとか。
森/うちの大学で年配の学生いる。完全にそれは社会人入試だね、AO入試、面接のみで入るんだけど、一般入試もぽろぽろいますよ。この前出た子も30で入ったんだっけな。プログラマだった子が、K塾にいって、大学に来て、学生と一緒に学部で。
横井/働いてしばらくしてからやり始めた人ってさ、人間が育ってるもんで、作るもんもおもしろいし。責任感があるじゃん、やっぱり自分でやるって決めるだけあってさ。作品も最後まで粘り強くって。
森/けっこう成績いい人多い。
◯/そういう人は覚悟があるんじゃないですか、安定した生活を抜けて、また学校に戻る。みたいな。
森/そう、今いる人も本当に楽しそう。カリグラフィの先生で、彼女いわく、「カリグラフィのことはやってきたけど、それしかやってないから、レイアウトできない」って。確かに見ると、文字は綺麗に書くんだけど、それをどうしていいかわからないから、パターンにはめるしかないと。50代かな。息子は大学卒業したって。今1年生でさ、この間の石膏の型取りの授業ですんごい勢いで「先生、楽しいです!」って。まわりにいい影響が。
横井/バランスが取れてるのかもしれないね。なんか、やわらかさがあるよね。
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形に残らない作品

宮川/何年かこの教室をやられて、多分作品がいっぱいできたと思うんですけど、それらはみんな持って帰る感じですか?
横井/置いてっちゃうものもあるし、持って帰って貰ったやつは写真に撮ってる。けっこう形に残らないやつもある。大きな桶みたいなので粘土のプールやったことがある。ブルーシートでアトリエを上まで囲って。子供は途中で裸ん坊。私までこうやって泥んこ。
宮川/それは形に残らないですね。
横井/最初の頃はもっとすごくてさ、子どもに冒険させなきゃって やる気満々で、最初に受講しに来た子どもに「今日は思い切り墨で遊ぼう、汚れていい格好だね」とかいって。木炭紙サイズの大きなクロッキー帳に、墨汁実験をさせたんだ。絵の具もたくさん使って。そしたら、すごいかっこいいのができて。小さい子だから 付き添いのお母さんもいて、 「わあすごいねー!」とか言ってる。私は「抽象絵画みたいだね!」とか。
それで、「できたー!」って子供が言ったから、「写真撮らせて!」と構えると、子供は「だめー!」とか言って 紙をぐちゃぐちゃぐちゃー!って。
(一同爆笑)
宮川/だめなんだ
森/すごい!
横井/写真撮れなくて悔しかったんだけど。もう次にヨーグルトのタッパかなんか見つけてそこに、墨で描いてた大きな紙を ぎゅっぎゅっと押し込んでるから、
「なに一生懸命やってんの?」って聞いたら、
「できたー!お味噌汁ー!」って。
(一同爆笑)
森/おもしろいー。
宮川/すごい、天才だ。そうか、形に残らなくてもいいんですね。
横井/前、別のところでちょっとやってた時に、4人ぐらいの子で ジャクソンポロック風に絵の具を滴り落とす実験をやってさ、すごいかっこいいのができて、おー!すごい抽象画だなーって見てたら「先生これね、スパゲッティだよ!」って言うの。それに、あんまり大量に絵の具を使うからすごい画面が重くて。際限無く絵の具を使いそうだから、ひやひやした。心臓に悪い仕事だな〜これはって。素材が絵の具だとさすがに費用がかかるなって思った。
でもね、できるだけ 止めない事にも、大人から何をどうやるかを勧めすぎない事にも、作る側、やる側の子供には 主体的な体験者としての意味があると思うんだ。ちっちゃい子が落書きをちょっと描いて「次の紙ちょうだい」っていう時とかって言う時、大抵のお母さん、「もうちょっと描いたら?まだここ空いてるよ」って描かせるけど、パッと描いたものに いい構成っぽい時がある。ちょっと安い、1円ぐらいの紙を用意して、子供の言うようにやってみたら、そんな風に 10枚以上描いたかな。その中にすごいかっこいいのもできることがある。だから、子どものすること 試してみることは、全部理にかなってるのかもしれない。どうせだったら そういうのしか描けない子供時代のものだからと、とっておきたい気もする。子供のやることを、そのまま。
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レッジョエミリアのDVD

横井/この間レッジョエミリアのDVDを見てたんだ。見たことある?
森/見てない。
横井/昔ワタリウムで展覧会やったやつを京都の友達に借りてきてここで上映会したんだ。
幼稚園みたいなところで、お庭が広いんだけども、紅葉の季節に、いろんな葉っぱを拾ってきて、大きな石の上で色の粉をいっぱい作って。土も赤黄色緑黒、色とりどりでさ、あと粘土もあったかな。それに先生が糊になるようなものを配ってくっつけるの。すごいかっこいいのがいっぱいできて。絵画の発祥のイタリアだからかな、ちょっと油絵的な使い方だった。先生は全員アーティストや音楽家なの。子どものあそびに付き合いながら 子供と絵画として話しをして、「ここをこうして」みたいな感性のあるやりとりをしてて。おもしろかった。
色の識別もまだできないみたいな本当に小さい子のクラスでは、白い網が貼ってあるのを触るだけとか、床にフカフカするちょっと変わった材質のをひいてぐちゃぐちゃさわったりとかね。それを長い時間やっているルームがあって。そういうのを淡々と写してる。
音楽の授業とかもバイオリニストの先生が、魔法使いみたいな間の魅力で 子供に 楽器への憧れを持たせていた。
見てもらったお母さんから こんな話が聞けた。3人目の子が、本当に落ち着いて肝が座っている。小さいうちからディスカッションもできるそう。その子は3ヶ月ぐらい、ずーっとニコーっとして 手遊びばかりした時期があったらしくて。幼児の時にそういう経験をすると しゅっとした人間の基礎ができるんだろうなと思った。
宮川/普通に見れるビデオですか?レンタルとか。
横井/うん、買うのができるよ。ネットですぐに出てくる。
宮川/まえ、別の先生にオススメされて、そのレッジョエミリアっていう人の本は持ってるんです。買ったんですけど、分厚すぎてまだ読んでなくて。
横井/ううん、レッジョエミリアはね、市の名前みたい。そこに思想家の教育者だった人がいて。100年以上前の頃の人で、歴史とか現代思想を元にベースが築かれた子どもアートセンターみたいなところの所長さんをやったりして、だんだん今の形に発展していったみたい。お母さんたち同士、先生同士もけっこうフランクにディスカッションして、良さそうな感じだった。先生的にも新しいことを研究できるし、施設も広くてすごいカラフルだし、そういう場所が 公的に保証されてるっていうのは大きいなって思う。ただ子どもが預けられるんじゃなくて、成長になる場所って意味で必要が 社会に認識されてるのがいいなと思った。
それを見せたときはすごく活気が出たんだけど、「でも日本の現実はどうでしょうね?」っていうような声もやっぱりあって。でも見たことで「今までのことで足りなかったのはこういうことかな」って考えてくれたお母さんもいて、子どもの事への理解が 前と全然違うなって感じた。いろんな人に見てもらいたいな。どうしても言葉だけだと分かんない。映像で見て実際に子どもがそんなことしてると分かる。小学生が見て、「小さい子が こんなにも 話できるんだ。」と驚いたり。いろいろ考える事ができる。
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成績とか親とかストレスとか

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横井/教室で人生の基盤を成長させたいなっていうところはあるかもしれないな。幼児のときにやれるのが、成長するときに迷わないから一番いいと思うんだけど、後からでもやると、育つものがあるような気がする。できなかったことがそうでなくなったりするのも喜びだから、いろんな人が図工美術をやるといいな。
宮川/「絵が上手に描けるようにして欲しい」って思う親さんからは疑問に思われるかもしれないですけど。
森/絵が上手いのが評価されるのって、大人になってからある?作品が目的に達成してて、それが完成されてて、あるイメージが強く出てたら評価されるだろうけど、それは「うまい」のじゃないじゃん。そういうのが評価されるのって、形が合ってる・合ってないでしか成績を評価できない学校で、とかだよね。
横井/そういうチェック基準で。まあ、うまい絵ができると、ちょっとかっこいいだろうとは思うけど。図工美術に限らずに、体育でも勉強でも何でも、いい成績だったら褒めたら喜んで、っていうのの繰り返しの過程かな。
そういえばうちをすぐやめちゃった人で、「ご褒美」っていう言葉を公然ともちだす子育てをしてる人がいたよ。
森/「これができたらこれ買ってあげる」とか。ご褒美でマックに行くとか?犬のしつけみたいだな。
横井/そうなの。本当にカチンときて言ってしまいそうになるぐらい。でも、ねだられて「しょうがないな、じゃあちょっとケーキでも買ったるわ」っていうのは、別に家族で 時にはあることだと思うけどね。だけど、躾の手段になると良くないね。今の塾ってさ、そういう賞罰のやり方の塾が多いみたいでさ。そうすると学力も運動系も伸びるんだけど、子どもも怒られないように我慢してやるけど、そのストレスはかなり大きいんじゃないかな。
うちみたいなところにくると、空気がそうさせるのかのしれないけど、ばっとそれが浮き出るんだ。家庭では大人しかったのが急に「あれ、どうしような」って感じる様な子供の焦りの様子が出る。競い合いの様な子供の様子が 現れたり。
イヤイヤの状態で 言葉では接点が難しい小さい子に、今の 何かを表現させてみようと「絵でも描こう!」って一番簡単なクレヨンを渡すとさ、すごい勢いでぐりぐりって塗ってさ。ストレスや情動を出してくのかな。子供は子供なりに生きようとする力があるのか 本能的に知ってるんだと思うけど、すごい勢いで描いててさ、何かわからないものと格闘するみたいにぐりぐり必死に塗っているみたいに してる。それが 1色目。3色目ぐらいからは、ちょっと和らいでくるんだ。で、だんだん余裕が出て来た子供は、描くのが楽しくなってきた。「次何の色にする?」「これ!」って、コミュニケーションも 交わし合う様になってくると、だんだん好きな感覚を子供が描く様になっていき、描ききったころは氣持ちも表情も軽やかになった。「できたねー」とか言ったら「できたー!」って、あんまり嬉しかったみたいで、ぴょんぴょん飛び始めてさ。「よかったなー」って喜んでたら、お母さんが「跳ねない!」って厳しい顔をした。
森/いいじゃん跳ねさせときゃ。
横井/「ここはお隣の人に話してわかってもらってるからいいです、跳ねさせてください」って私は話した。その子はいつもはカチッと硬くて、子供なのに体にあんまり自然な動きがないんだ。スポーツにも行かせてるみたいだけど型から入ってもしょうがないなって。お母さんも多分自分では躾役になってしまって、子供たちの自由で自発的な姿への共感を 楽んでないんじゃないかな。
森/親が。
横井/そうそう。そういう子は私みたいな人の前なら、ちょっと自由にできるって思って、わざと乱暴に振舞ったりをしてみせたり、試してくるんだ。「いやーこれは大変だな」って思いながらも全力で接してるうちに、楽しむ気持ちに流れが変わる。彼らが 自由度が自分で分かるところまで授業で持ってって体験して、それから帰すんだけど、それを繰り返してるうちに段々、自分なりに「こう言われるけど、自分はここをこうしたかったんだ。」って 子供本人が考えられるところまでいくんだ。それまでは、言われた通りにやれないと悪いんだと言う風だった。それが、主体の自分から考える様になったという事が起こる。そういうところで、自分の言葉を話して伝える力が育つて思う。
だけどそれって、ここで1対1で見てるから「あ、この子は変化したな」って分かるけど、教室とかで たくさんそういう子がいたら…。
森/そうなんだよ、ルール化しなきゃいけないのは仕方がないところもあるよね。
宮川/長く見れるというのはいいですね。
横井/子どもなりにけっこう素直にいろんなことを吸収してる感じでさ、次の時に来ると、「先生こんなことやってみました」っていろいろやってきたりとか。言われたことを自分で考えてみて考えを変えたりしてるから、子どもは展開が早いかもしれない。
一番肝心なのは、人間同士の話ができたかどうかかな。どんな人かなとかそういうのがないと、なかなかフォローできないし、親しくならないじゃん。あ、この人こんな感じだ、とか一喋って自然に興味を持ったりとか、今まで聞かなかったこと聞いたりとかさ。そっちの方が興味があるかな。
一人の個人として 自分を大切にし、大切にされていると感じれるかだと思う。

(2014.7.20)

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